| 映画「阿賀に生きる」8周年 |
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豊かな「生」確かめたい
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旗野秀人(安田町水俣病患者の会事務局)
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映画「阿賀に生きる」から=撮影・村井勇 |
それは、山と川で生きた人にふさわしく、杉木立をとおして阿賀野川が望める小高い山の上にあった。
県境の春は遅い。彼岸だというのに四十九日であげた酒瓶は、まだ春の淡雪に埋もれていた。
あの、映画「阿賀に生きる」の主人公のひとり鹿瀬町の長谷川芳男さんが去年の12月31日、2000年問題などといってパニック状態のこの世に見切りをつけて逝ってしまった。無念なことではあるが、これで映画に登場していただいたそれぞれの連れ合いが欠けてしまったことになる。
映画完成の翌年に逝った餅屋のジイちゃん、バアちゃんこと、加藤作二さん夫婦は7年目になる。お天とう様とともに目覚め、よく働きお天とう様が沈めば晩酌をし、寝る。決して無理はしない暮らしぶりがいい。「今日の酒うんめかった、仲間いてうんめかった」のセリフで一服つける場面はなんとも良寛さんの世界で私は好きだ。
3年前に逝った職人の鏡でいちがいこき、舟大工の遠藤武さんもそうだった。
朝顔があいさつに来る道だからといって、窓ガラスの割れた角をそのままにして待っている人で、朝顔もまたそれにこたえてほんとにそこから蔓を延ばし、、毎年花を咲かせてくれたのだから不思議だ。
映画に歳老いた長谷川芳男さんに長女が気遣いの電話を入れる場面がある。「歳も歳だし、身体も無理きかぬし、もう田んぼやめにしたら」。芳男さんは、怒ったように「やめれて、おれん田んぼだ。だれも作る人なんかいねぇ、こんな山ん中の田んぼ」。そしてまた、とてもいい笑顔でこう答えるのだ。「またな、おれ、それが楽しみなんだわ」。阿賀の棚田も歳老いた身体に楽なわけはない。とても好きなセリフだが、重い言葉だ。
この映画、撮影から数えても十年、佐藤真監督との出会いは新潟水俣病第二次訴訟の翌年だからふた昔も前の話になってしまう。
新潟水俣病が公表されて35年。この国は映画の中で流れる時間とは明らかに違う、ものすごい速度で、ますます危険な方向に突き進んできたのではないか。年末のコンピュータ誤作動パニックしかり、なんと足腰の弱々しい危なげな暮らしぶりになってしまったことか。
私たちは今年も懲りずに「阿賀に生きる」の上映会を企画した。豊かに生きること、そして、逝くことを再び確かめたい。
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