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阿賀のほとりで・04
「いいかげん」
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旗野秀人(大工)
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このごろ、自分のいい加減さにつくづく参っている。例えば「ばらくて」2号に会津田島町へ「阿賀に生きる」上映会でいざ出陣とまで報告したのはいいがあれから半年、その続きが思い出せずになかなか書けないでいる。
困ったもんだ。なにしろ毎月のように、いや、毎週のように全国各地? を遊び回っているものだから、新たなネタがどんどん増えてしまって季刊での報告では間に合わない。しかも近頃では持病のアル中ハイマー症状に「老人力」までついてしまったようで始末におえない。いささか手遅れ状態なのだが、それでも懸命に昨年1年を振り返ってみる努力をした。
正月過ぎのまだ寒い頃、カメラマンのM氏と石工のU氏と3人で酒を飲んだ。毎度のことながら酒の勢いは恐ろしいと思った。水俣市までお地蔵さん石を探しに行って阿賀の岸辺に建立してしまおうというのである。いいかげんな連中の飲んべぇ話から始まったこの事件、今となっては私の四半世紀にわたる水俣病事件史の中でも、もっとも印象深い大事件となってしまった。
そして、南の国からやって来たお地蔵さんが初めて迎えるこの冬。あったかそうな藁帽子をちゃんと被せてもらって、先輩の地元の虫地蔵さんと仲良く並んで阿賀の堤防下に居られた。
6月の阿賀源流の町、会津田島町への上映会の後には、生まれて初めて北海道を訪ねる機会があった。このところ北海道での映画づくりで多忙なコバさんこと、小林茂氏のお声がかかりによるもので、道東はサロマ湖のほとり常呂町での上映とトークの会である。
7月の半ば過ぎ、北海道では一番いい季節だという。オホーツク海にサロマ湖と網走湖が見渡せる丘の上で寝ころんだ時の心地良さは格別であった。
もっともそれよりも心地好かったのが上映後のトークの会で、なんと私のコップには昼間だというのに冷酒が入っていたのである。どうもコバさんのコップはムギ茶だったらしくコーディネーター役のU教授と私だけへの現地スタッフの心やさしい配慮(アル中ハイマー症がバレバレ)だったらしい。
いい加減な昼間のトークのわりには夜のもてなしは超豪華版で山ほどのホタテやシマエビは食べ切れるものではなく、春の水俣行きで御所浦島の患者が出してくれたタイやフグの山を思い出してしまった。
ちょっと待ってほしい。けして私だけがいつもこんな調子でいい思いをしているわけではない。お地蔵さん石を探す水俣の旅にだって、ちゃんと2人の患者にも同行してもらっているし、秋の「冥土のみやげツアー・大阪の陣」でも、わが患者の会で一番元気のいいWさんを誘って行って来た。ただ、なにせ明日をも知れぬ高齢者患者団体なものだから、その行動には自ずと制限がある。
しかし、世の中まんざら捨てたもんではないようだ。こんな患者の会でも、なんとか動けさえすれば新しい運動が開けることを神戸の被災地を訪ねることで知った。早速、被災地NGOの「がんばるゾウ」の運動に参加し、交流が始まったのである。
そう、たまには私だってアルコール抜きで患者の会が誇りに思えるような仕掛けを組むことだってできるのだ。
毎年冬のはじめの頃、小学校5年生の社会科の公害授業で必ずどこからかお声が掛かるのだが、今年は新潟大学付属小学校からであった。阿賀野川に渡船場があったときに船頭をやった経験があるMさんと出かけた。患者の会の中でも超真面目人間のMさんはかなり上がってしまったようだが、その人柄からくる語り口は子供たちや先生までも感動させてしまったのである。
日立市に住むSさんからある日突然、電話が入った。「ぼくSさんだよ。元気かね、遊びにおいでよ。来るって約束したじゃない、待ってるよ」ガッチャン。この人、小千谷市出身の82歳で現役の映画照明マンである。月に何度かは東京の大学で若い人たちに照明技術を教えに通っているという。アルツハイマー症の連れ合いを撮った映画「おてんとうさまがほしい」でも知られた人である。全国に先駆けて安田町で上映したことや小千谷市でのイベントなどの縁なのだが、すっかりご無沙汰していた。早速、元気印のWさんにも同行願って訪ねたのだが、偶然にも同じ82歳で独り暮らし、しかもお互いに若いときからご婦人にもてもての大正ダンディボーイだったといってすっかり意気投合し、帰ってからも文通が続いているという。勿論、残念ながらこんなに楽しい話ばかりではない。
患者の会で一番の頑丈もんと言われてきたS会長ではあったが、近ごろ体調を崩し、1年の締めくくりでもあり、楽しみにしてきた温泉での忘年会にも出ることができなかった。
正直なところ、私は少々焦りはじめている。じわりじわりとわが同志が欠けていくのだから。それでも新しい年がくれば、また懲りずに患者のそれぞれの脈を診ながら、誇りとなって語り続けられる、しかも楽しくて冥土のみやげ話にもなるという、相変わらずの「いい加減」な運動を仕掛けて行けたらと思っている。
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