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阿賀のほとりで・07
「『阿賀に生きる』の力」
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旗野秀人(大工)
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昨年の秋、実家の菩提寺の住職から「阿賀に生きる」の上映と講演を依頼された。その宗派のご婦人が北陸4県から、なんと500人も集まるという。「上映設備は完備していますから」の言葉に不安を抱きながらも、会場のT温泉ホテルSへ下見に行く。
いやな予感は的中した。今どきのホテルに16ミリや35ミリの映写設備があるわけがない。
案の定、結婚式などでよく見かけるビデオ上映のスクリーンが天井から降りてくる仕掛けだ。しかも、真ん中からも1枚下りて大ホールが前後二分割となってしまう最悪の状態。
「大型の映写機や技師などでお金がだいぶかかりそうですが」「いや、ビデオで結構です。このままでやってください」と、主催者はそっけない。
しかも、である。プログラムを見てびっくり仰天。事前に映画パンフレットや資料などを送っていたにもかかわらず、上映と講演を含めた私の持ち時間は、なんと2時間とある。ご承知のように「阿賀に生きる」は1時間55分の長編映画なのだ。
「えっ、1時間半じゃないの、しかたありません。お話を短くしてもらうしかないですね。始まる前で5分、終わってから10分ほどでまとめていただけませんか」ときた。
もちろん、OKだ。そもそも自分が講師などという器でもあるまいことは百も承知しているから。
それに、この1泊2日の大集会はまさに分刻みのプログラムで、宗派の儀式以外のアトラクションだけでも、映画と講演の他に民謡ショーやバザー、落語まで用意されていたのである。
さて、当日の朝、気掛かりなので約束のリハーサル時間よりも早めに会場に入ってフィルムを回してみた。
こんなにでっかくビデオフィルムを拡大してしまうのだから、当たり前のことと言えば当たり前なのだが、なんとも見えにくい画像である。それでも隣で一緒に見ていたフロアディレクター? のお坊さんはOKサインを出して、早く終わるように私を急かした。
ここまできたらどうしょうもない、いい加減に諦めて会場を出たら「講師先生、こちらへ」と呼び止められ、来賓控室に案内された。
そこには年老いた、見るからに位の高そうなお坊さんや品のよさそうなご婦人方がおられたのである。
私にとって一番苦手なパターンだ。知っている人は1人もいないわ、昼間だから、弁当とお茶で「ちから水」? も置いていないわ、針のムシロ状態でなんとも居心地が悪いと思っていたら「ところで講師先生、本日はどのようなお話をなさいますの」と、ひと際大きな赤いリボンを胸にしたご婦人が私に声を掛けてきた。映画「阿賀に生きる」を全く知らないというこのご婦人は、開会式が始まってようやく気づくのだが、この会の主催者である婦人部会の会長さんだった。失礼ながら弾むわけもない会話を交わし、これも修行と覚悟したものの、一刻も早くこの部屋から抜け出せることを願いながら、お茶と弁当で、ひたすら会の始まりを待った。
ところが、中央に祭壇が奉られ、500人もの信者が畳敷きの大ホールで整然と正座して待つ会場は、そんなに甘いものではなかったのである。
係りの人の案内がままに高僧の後について壇上に上がったものの、その威厳に小心者の私はすっかり上がってしまい、そこに座っていること自体が不思議で、その「場違い」を後悔したのである。高僧による読教や説教、500人全員による御詠歌などで、大ホールは線香の匂いと熱気であふれ、ますます私は滅入ってしまった。
しかし、ひととおりの儀式が終了し、いよいよ「阿賀に生きる」の上映が始まると、途端に会場の雰囲気は一変したのである。
鹿瀬の長谷川芳男さん、ミヤエさんの稲刈りのシーンで始まるわけだが、のっけから大爆笑なのだ。会場のご婦人方にとって、いずれの場面も思い当たる節があってのことなのだろう。いちいち頷き、笑っては涙し、その勢いは最後まで衰えることもなく、1時間55分の間、画面とキャッチボールし続けてくれたのであった。
年老いた船大工の遠藤武さんが、最後の川舟をようやく完成し、進水させる場面では一斉に歓声が上がり、大きな拍手が湧き起こったのである。
映画が終わって、私はその名優たちの何人かはすでに亡くなったことを話すと、会場は一瞬どよめき、哀れんだ。
そして今、年の暮れに突然、逝ってしまった長谷川芳男さんに合掌しつつ、あらためて感謝せずにはいられない。
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