ばらくて 2001年夏号 08号

阿賀のほとりで・09

「逝く人、あとに残る人」


旗野秀人(大工)

 「しまった!」三川村を過ぎたあたりで、ようやく長靴を忘れたことに気づき、私は慌てた。12月31日は鹿瀬の芳男さんの命日、山の上の墓参りに行くというのに短靴履きのだった。安田町の道路では土埃が舞っていたものだから、ついつい油断をしてしまったのだ。
 ところが津川から鹿瀬の山里に入ってからも道路に雪は無く、芳男さんが眠る小高い墓地にさえ杉木立の下には雑草が見えた。いわゆる地球温暖化ってやつを実感しつつ、まずは芳男さんに献杯! そして、手を合わせた。
 「アレ、安田の大工さん、なんでぇ今日は」帰り際、連れ合いのミヤエさんが居る『きりん荘』に寄ってみた。
 「今日は芳男さんの命日だろう。お墓参りに来たんだわ」「そうけぇ、そうけぇ」と、ベットから身を起こした。
 同室のミヤエさんよりも6歳上のお婆さんも、実家の沖縄から送られてきた名物の焼き菓子などをふるまってくれて、いっとき話に花が咲く。
 「明日から、またひとつ歳とるのに、なんだか、だんだん若こうなるようだねぇ」と言えば、「そうげなあ」90歳のミヤエさんが照れ笑いする。
 芳男さんがまだ元気な頃、少しばかりの酒の力も借りて、いつも賑やかな歌合戦となったものだ。

  お顔見たけりゃ写真ある コリャ
  話したけりゃ電話ある
  こんな文明な世の中で コリャ
  逢わねば出来ないことがある

ミヤエさんが歌い出せば、芳男さんも、

  中づくし〜
  石川五右衛門、釜の中
  お染、久松 チョイト 蔵の中
  私とあなたは 床の中
  でもね……シャンシャン

ほろ酔い気分で歌う。そして、いつも一緒に遊んでくれる安田の民謡歌手、参治さんも負けじとばかり、

  忍び上手で 忍ばせ上手
  毎夜、毎晩裏の木戸を
  開けて連れ込む色男
  話が積もれば夜が更けて……

と、名調子で繋ぐ。
 病んで老いゆく2人の危なっかしい山あいでの暮らしぶりに不安と限界を感じながら、それでも心底楽しいひとときを大切にしたいと思ってきた。
 忍び込むことも、床の中でもなく、逢わなくとも「出来る」。IT革命? なのだそうだ。なんとも味気無い、つまらん世の中のことだろう。
 暮れに安田町水俣病患者の会恒例の忘年会があった。年々、参加できる患者は減るばかりで、とうとう女子衆5人、男衆3人のひと桁になってしまった。そして、患者の会で唯一、私と一献傾け合える最後の男衆である清雄さんが骨折で欠席する一大事のおまけまでつく始末。生前、いつでも最後までつき合ってくれていた「団結ガンバロウ」で知られる勇さんの存在の大きさを今更ながらに懐かしく思い出す。
 ところがドッコイ、世の中まんざらでもない。次の役者は必ず生まれる。今回は唱歌メドレーの口火を切ってくれた現会長の晴雄さんだろう。長男夫婦と同居し、2人の孫にも恵まれ、今が一番幸せだという気持ちを「ポッポッポー鳩ポッポ」と、いつもながらカラオケで古賀メロディーのはずが、孫に聞かせている子守歌だといって照れながら披露してくれた。これがまた晴雄さんの人柄と人生がにじみ出て、なんともいい味なのだ。
 この1曲が引き金となって、民謡歌手の参治さんまでが「今は山中、今は浜、今は鉄橋渡るぞと」と続け、女子衆やゲストまでが伝染し唱歌のアカペラ合戦となったのである。
 年末に晴雄さんと小学校の公害授業に出かけたときのこと、「今、一番楽しみなことはなんですか」子どもたちが質問をした。「孫と一緒にいるときだねぇ」途端に表情がゆるんだ。
 たまたまその前日、20世紀を振り返るテレビ番組に晴雄さんが出演したものだから、一夜にしてTVスターとなって子どもたちの握手攻めとなった。
 今から20数年前、晴雄さんの連れ合いは4人の幼い子供たちを残して、突然逝ってしまった。若かった私にとってもショックな出来事で、毎晩のように通ったものだ。その子供たちも、今ではそれぞれが独立、親となった。
 患者の会で一番若い文子さんは、ほとんど聞こえないほどの難聴だから、人の寄る場所が苦手だ。でも嬉しいことに、この会だけは唯一の楽しみだからと言って筆談用の紙をドッサリ持って参加してくれるのである。
 春になれば、また、この阿賀のほとりには、いろいろな人たちが訪ねてくれることだろう。
 さてさて、今年の「冥土のみやげ話」はいくつ出来ることやら……。