新潟日報夕刊 1997年5月21日

晴雨計・03

「若きジャーナリストたち」


旗野秀人(新潟の水辺を考える会会員)

 明訓高校放送部諸君と出合ったのは一昨年の12月、新潟水俣病公表30年特別企画写真展の会場であった。
 ちょうどそのころ、開催に合わせるかのように昭和電工と患者側が和解調印したものだから、連日予想以上の人が入り、私はその対応に追われていた。彼らから取材の要請があったとき、まさか全員が一年生だとは思わなかったし、マスコミの連中をしり目にアイリーン・スミスや坂東弁護士にちゃっかりと突撃インタビューをやってしまうのだから恐れ入った。
 「現地を見ること、患者の話を聞くことが大事だと思う」と言ったら、早速、雪降る中を鹿瀬や安田の患者の会へほんとうに取材に来たのである。若い人に飢えている私は、跳びあがるほどうれしかった。
 そして、その作品「生きているうちに」が全国大会出場と決まったとき、勝手に応援する「勝手連」を結成し、全国の仲間に支援を呼びかけた。すごい反響であった。150人余りの人々からカンパやメッセージが届いたのである。7メートルもある出場を祝う垂れ幕を快く書いてくださったのは「阿賀に生きる」のタイトルで有名な小山素雲先生であった。
 5位入賞という結果ではあったが、30年の新潟水俣病事件史の中で若い彼らが足元の水俣病という重いテーマに真正面から取り組んでくれたことは何よりも意義深いものだと思う。
 今月の正月早々、とんでもないニュースが舞い込んだ。よりによって彼らの撮影機材が盗難にあったというのである。どっこい、世の中悪いやつばかりではない。例の「勝手連」のおじさんたち早速、見舞金を募ったのだ。おかげでまた機材が無事そろって、今年は三年生になるというのに1月に亡くなった舟大工の遠藤武さんをテーマに全国大会をめざして取材を重ねているのである。
 「今時の若いもんは」などと茶髪を見て早合点するなかれ、なんとも頼もしい若い連中もいるのだから。