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晴雨計・11
「おふくろの背中」
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旗野秀人(新潟の水辺を考える会会員)
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どこかで「おやじの背中」というコラムがあったようだが、ちょっとまねて、今年の2月にあの世へ逝った母の「おふくろの背中」を書いてみたい。
大正4年7月30日生まれだから今月の末には82歳になったはずであった。3年前、手遅れ状態の直腸がんが見つかって大手術をしたのだが、さすが自他ともに認める鉄人バアさん。去年の夏には大好きな畑にまで出かけるほどの回復ぶりで周囲を驚かした。
ほんとうに丈夫な人であったと思う。Rhマイナスの血液を持ちながら「貧乏人の子だくさん」で8人出産して7人を育てあげてくれたのである。母は働き者としても知られた人であった。私は5月生まれなのだが、なんとその産み月まで山へしば刈りに行ったという。しかもその仕事量は男衆もかなわないほどの豪傑だったと聞く。母の背中はいつも汗でビッショリであった。あれはいつのころだったか、唯一の電化製品だったと思われる扇風機を時々背負っては隣町の質屋へ通う姿も忘れられない。
母の実家はすぐ近所の小さな駄菓子屋だった。17年前に亡くなった父は生前よく酒を飲んでは「家の格式が違う、このバカども出ていけ」などと訳のわからんことを言って母を責めていたのだが、そんな父に背を向けたまま黙々と夕食の準備などをこなしていた母が、とても頼もしかった。
去年の暮れに再入院した母の病床で、私は運良く最後の新年を一緒に迎えることができて喜んだのだが「お前はなんでここにいる、オラのことなんか心配いらんから自分のことちゃんとやってくれ」と言われドキッとした。そして通夜の日、以前から約束していたとはいえ、県の「いきいきスクールプロジェクト」で偉そうに中学生を前に講演をしてしまったのである。水俣病にかかわって四半世紀余り、多くの大切な人を亡くし、一番の支援者であった母もまた逝ってしまった。その汗ビッショリの背中はこれからも私の支えであり、励みにしたい。もちろん、仕事嫌いで“アル中ハイマー症?”だった父の血も自覚しながら。
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