2004年4月27日 新潟日報掲載

映画「阿賀に生きる」続編「阿賀の記憶」

あの世この世から総出演
追悼集会で完成披露


旗野秀人(阿賀に生きるファン倶楽部事務局)

「阿賀の記憶」を撮影する佐藤監督(左から2人目)らスタッフ。カメラを構えているのは撮影担当の小林さん=鹿瀬町

 この冬、立教大助教授のSさんの依頼で30年ぶりに神奈川・相模原へ出稼ぎをした。15年ほど前、Sさんが所属していた都立大学と法政大学の共同研究班が、新潟水俣病の社会学的な調査に初めて入ったときのこと。「偉くなったら家を建ててやるぞ」などと酒の勢いで私は学生諸君に約束をしたらしい。
 その後も阿賀野川流域に足を運び調査を継続してきたSさんは阿賀の風土や暮らし、そして何よりもその地で生きる人たちの魅力のとりこになって、ついには相模原に「阿賀の家」を注文することになったのである。
 Sさん家族と阿賀の河原で拾い集めた石で玄関を敷き詰め、屋根には安田瓦をふき、骨太な阿賀野川流域の杉材でまとめた昔ながらの造りは、近所の評判となった。
 建築の仕事を続けてきてよかったとつくづく思った。恥ずかしい話だが、20歳のころはこの仕事が嫌で身が入らず、映画「阿賀に生きる」の主人公の皆さんに良く諭されたものである。その人生の師も今ではみな黄泉の人となってしまった。
 感謝を込めて毎年、5月の連休に開催している追悼集会も今年で12回を数える。5月4日に開催する今回の目玉は「阿賀に生きる」の第2弾、佐藤真監督と小林茂カメラマンのコンビによる新作「阿賀の記憶」の特別試写会である。
 その後の阿賀に生きる人たちはもちろん、黄泉の国からも芳男さんや遠藤さん、餅屋のジィちゃん、バァちゃんと前作の豪華俳優陣があの世とこの世から総出演してくれる不思議な映画となった。
 佐藤監督から再び阿賀を撮りたいと話があったときは、なんだか理屈っぽい難解な映画と思ったが、とにかくうれしかった。それが、小林茂カメラマンと10年ぶりのコンビを組んで現地に入ると、当初の予定がどんどん変わっていった。
 例えば、とりあえず唄でだけ出演予定だった“米寿の民謡歌手”参治さんが、昔話も語れば汽車にも乗って、なぜかラーメンまで食べて艶話まで披露する。終わってみれば主役なのである。
 あの世からの支援も何度か感じた。芳男さんの田んぼにスクリーンを張ったときのタイミングのいい風や、雪がほしいと願えば雪が降り出してくれたことなど、生まれ故郷に戻ってきた“息子たち”のことを懐深く迎え入れてくれたのだと感謝したい。
 佐藤監督も小林カメラマンもこの10年で映画づくりの腕のいい職人になって帰ってきた。短時間で手際よくこんな作品をつくるのだからすごい。
 経麻朗さんの音楽もいい。ちょっとだが餅屋のジィちゃんの囲炉裏端に寄ってもらったことが功を奏したのだろうか。
 佐藤監督は眠くなる映画が目標のようだ。登場人物もあの世の人なのかこの世の人なのかよくわからない。最後の薪ストーブのコトコトと湯気のあげる鉄瓶のただただ長いシーンもこの世なのかあの世なのかわからない。
 そう、眠くなってしまうのだ。まさに追悼集会にはふさわしい映画となったのである。

左:佐藤真さん  右:小林茂さん

2004年 追悼集会「阿賀の岸辺にて」

■日時:2004年5月4日 ■会場:阿賀野市安田公民館
午前10時・・・・「阿賀に生きる」
午後1時15分・・・ビデオ作品「ともちゃんとキミイさんの夏休み」
午後2時・・・・・「阿賀の記憶」
午後3時・・・・・・佐藤真さんと小林茂さんの「阿賀の記憶」制作裏話
午後3時45分・・・渡辺参治さん映画出演記念ライブ
夜は咲花温泉柳水園で大交流会