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阿賀のほとりで・11
「徳太郎さんへの弔辞」
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旗野秀人(大工)
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昨年の秋、友だちの力を借りてはじめてビデオ作品「阿賀野川、昔も今も宝もん」をつくった。その中の主役の一人、市川徳太郎さんが突然、この春に逝ってしまった。昭和3年生まれの74歳で安田町の患者の会ではまだ若手だった。亡くなる3日前には交流会の段取りをしてくれていたのである。
左官の親方だったこともあって、その骨は太くてたくましく骨箱に納まりきれないほどの頑丈なひとであった。痰が喉に絡んで逝ったなどととても信じられるものでなかったのである。
昨年の夏に最愛のおばあちゃんを亡くしてからはすっかり元気をなくし、入退院を繰り返すようになっていたことは知っていたのだが、まさか痰を吐き出せないほど弱っていたとは、あらためて患者さんは油断できないことを痛感した。
通夜の日に息子さんが言った。「夕べ初めて親父のビデオを見たわね。いつも盆栽いじってる親父しか知らねもんだから、ただのジィさんと思っていたんだが、大したことしていたんだわね、はじめてわかったわね」と、その徳太郎さんの仕事ぶりを弔辞で紹介してほしいと依頼されたのである。なんだか私はとても嬉しい気持になったものの、ほんとに私でいいのか、親戚の人たちともちゃんと相談してのことかを確かめたうえで、快く承知をした。本番まで僅かな時間しかなかったが精一杯、感謝を込めて書きあげたつもりである。
弔 辞
徳太郎さん、それにしても余りに突然です。逝くには早すぎます。25日の朝、半べそをかいた新美さんからお電話をいただきました。
「旗野さん、たまげのでね、徳太郎さん亡くなったんよ」「えっ、ほんとかね、嘘だろ」
私には、俄かにその事の重大性が呑み込めませんでした。だって、2日前までは元気で大阪からやってきた大学のみなさんに、昔の阿賀野川の様子や川筋での暮らしぶり、そしてご自身も被害者であった新潟水俣病について一生懸命に説明をしておられたのですから……。
確かに昨年の夏に大切なおばあちゃんを亡くされてからというもの、あれほど一生懸命だったジョギングや盆栽の手入れもおろそかになり、ついには入退院を繰り返し、ようやくこの3月12日に退院したばかりでした。
「徳太郎さん、病は気からだよ、気晴らしにみんながの顔でも見に来ませんか」といって今回の集まりの段取りをやってもらったのです。いつもおばあちゃんを羽黒の優婆さまへお参りに連れて行かれていた孝行息子の徳太郎さんにとって、93歳とは言え、亡くなられた事はとてもショックだったのでしょう。
さて、本日は遠く北海道からも帯広畜産大学の関礼子先生がお参りに駆けつけてくださいました。弔電も県内外から沢山届いているようであります。皆様もご承知のように、この千唐仁の集落も新潟水俣病の被害地であります。すでに亡くなられています市川栄作さんや丈夫さん、斉藤清吉さんなど30年も前から取り組んでおられたことでした。ニセ患者や金目当ての裁判などと屈辱的な差別を受けながら、徳太郎さんたちもその運動を今日まで受け継いでこられたのです。ご家族やご親戚の方々、あるいは左官仲間のみなさんも、きっとご存じないでしょうが、失礼ながらあの余り話が得意で無い徳太郎さんが、実は凄い仕事を残されているのです。例えば、県立・環境と人間のふれあい館での語り部をはじめ、帯広畜産大学や札幌のフリースクールでの講演。木戸小学校や三条小学校での出前授業の先生役も勤めてくださいました。また、昨年の秋には小中学校の総合学習教材用のビデオ作品「阿賀野川・昔も今も宝もん」にも出演して下さいました。
「昔、川筋の若い衆は何商売であろうと、まずは川舟の修行をしねことには一人前にはならんねかったんさね、一生懸命やったもんだわねぇ」徳太郎さんの説明してくださる声がいつまでも耳に残ります。このテープはすでに150本ほど県内にとどまらず全国の子供から大人まで、想像できないほどの多くの皆さんからご覧いただいているはずです。どうぞ、ご遺族の皆さん、そして地域の皆さん、徳太郎さんを自慢してやってください。誇りに思ってください。後世に残るいい仕事を沢山やっておられたのですから。
徳太郎さん、あの世で待っている栄作さんや丈夫さん、清吉さんへの冥土のみやげ話はもう、沢山もてましたか、くれぐれもみなさんに宜しくお伝えください。残された私たちはもう少し頑張って、みなさんへの冥土のみやげ話づくりを続けたいと思っています。どうかあの世からも引き続きお力添え下さいますように。
長い間、ほんとうにお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
2003年3月27日
同志、市川徳太郎さんへ
安田町 旗野秀人
不覚にも、栄作さんや丈夫さんのくだりでは運動の始まりのころを思い出し、言葉を詰まらせ洟を垂らしてしまった。遠路、北海道から駆けつけた関先生と共に私も親戚と同様にお斎の席を用意していただき、徳太郎さんの思い出話に花を咲かせることができたのは何よりもありがたいことであった。(合掌)
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