| 新潟水俣病公表40年に寄せ |
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被害地歩き風化防ぐ
映画で理解者の輪 全国に
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旗野秀人(阿賀に生きるファン倶楽部事務局)
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| 映画が橋渡し役になって、全国に“親せき”が増えた。親せきづきあいの仲間が住む北海道常呂町でのトークショーのひとこま。左端は筆者=2004年8月 |
この春、映画「阿賀に生きる」の主人公、餅屋のジィちゃんバァちゃんの13回忌の法事があった。感謝を込めて始めた追悼集会と、映画完成からでも13年がたつ。
時の流れは早い、今年新潟水俣病は公表40年。熊本は来年、50年だ。10年前、昭和電工と被害者との間に政治決着という調印が交わされ、高裁での和解も成立した。
その後、一切の訴訟や再申請を認めないことが条件のこともあって、全国的にも一部の患者運動を除いてそのほとんどが鳴りを潜め、水俣病事件は忘れ去られようとした。
この間、小さな動きではあるが流域での「それぞれの阿賀展」や、お地蔵さんの建立に、追悼集会の開催。そして「冥土のみやげツアー」と称して、患者会専属歌手参治さんの歌声と、「阿賀に生きる」のフィルムを担いでの全国行脚。おかげで各地に親せきのような関係が増えた。
大阪にも親せき? がいる。その親せき―関西水俣病訴訟の原告団は当時、孤立無援の様相を呈していたが、最高裁は昨年10月15日、一部に問題はあるものの、国、県の責任を認める画期的な判決のプレゼントをした。しかし、すでに半年余りがたつ。ようやく動き始めた国ではあるが油断はできない。なにしろノラリクラリと半世紀も遠回りした張本人であるから。
3月末、「阿賀に生きる」の大阪上映が縁で、大学での講演や原告支援で交流してきた大阪市立大学の「木野茂先生の退職を惜しむ会」に出かけた。会場で原田正純先生(熊本学園大学)ともお会いした。今、水俣では新たに千人以上の申請患者が出ていると言う。それも症状がそろっている人が多いのだそうである。
新潟でも数こそ少ないが新たに申請する人や行政不服審査請求を始めている人がいると、40年間患者を診続けている斉藤恒先生(木戸病院名誉院長)から聞いた。
先日、新潟日報紙上に40歳の誕生日を迎えた古山知恵子さんの笑顔が載っていた。県内唯一の胎児性患者ともあった。
当時、妊娠規制の範囲外だった私の住む周辺にも胎児性が疑われた人たちがいた。しかし認定になることはなかった。
去年の春から斉藤先生をはじめ地元の保健師や地域看護学の先生らとともに、再び被害地への訪問を開始した。最高裁判決は人ごとではない、新潟県も積極的に行動すべきだ。
さて、毎年5月4日に全国各地から「阿賀に生きる」ファンが駆けつけてくれる追悼集会。今年は斉藤先生に講演をお願いした。30代の若い斉藤先生が登場する幻の記録映画「公害とたたかう 新潟水俣病」(1968年製作)と「阿賀に生きる」(1992年製作)を併映するので比較すると面白い。
80歳を迎えたばかりの信さんもこの春、逝ってしまった。次々と同志を失うばかりの高齢の患者会ではあるが、めでたく卒寿を迎える参治さんからは自慢ののどを披露してもらう予定でいる。
そして、秋には長年の夢だった「阿賀の絵本」が完成、40年の節目に子供たちに贈りたい。
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