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渡辺参治さん
1916年11月27日、唄好きの両親で博労の庄松さんとサダさんの三男として安田町で生まれる。「博労唄」は参治さんが最初に覚えた唄で、幼いころに父の庄松さんが歌って聞かせてくれたもの。9歳から村の盆踊りで櫓のうえでバチを握って歌い、学校の先生には叱られたが両親は褒めてくれたという。14歳で地元の瓦屋に弟子に入り、19歳で屋根葺き職人としてデビュー。佐渡を振り出しに県内外で修行を重ね、自慢の喉も特に師匠もとらずに磨きをかける。その後、何度かの婿入りの失敗や水俣病の被害者となったことで生活のどん底も味わうが、常に歌を口ずさみ、どんな仕事でも苦にせず一生懸命な働きもんとして町の評判となる。80歳の時に自転車で転倒して大腿骨骨折、一人暮らしが不可能となってケアハウスに入居し、現在に至る。五尺足らずの小柄な身体ながらその声量はお聞きのとおり、今なお現役の安田町水俣病患者の会専属歌手であり、安田大学民謡古典芸能学科名誉教授という凄い名刺を持っている。
参治さんのこと
参治さんには三つの病気がある。とにかく何よりも唄が大好きで朝から晩まで歌っていること。米寿を迎えても艶っぽい話には事欠かないこと。そして水俣病の被害者であること。実はもうひとつ、「働きもん」という虫のいる病気もあったのだが、大腿骨骨折後ケアハウスに入居してからは、その虫も治まるしかなかった。
名前のごとく朝三時? に起きては誰もいないリハビリ室や食堂で、左手で耳を押さえて自分の声を確かめつつ、右手でトントンと調子をとりながらのボイストレーニングを欠かしたことがない。声が掛かれば「冥土のみやげツアー」などと称して、近所の保育園から北海道の大学まで出掛けていく。いつでも何処でも、どんな唄でも歌いまくってくれるものだから、世代を超えたファンが全国各地にいる。そんな米寿を迎えたお天とうさまのような参治さんに、CDアルバムをつくってプレゼントすることになった。そう、「冥土のみやげ」である。
夢にまで見たスタジオ録音で参治さんは大喜びであったのだが、何処へ行っても恥ずかしがらない88歳が生まれて初めて緊張し、録り直しもあった。やはり、真骨頂を発揮するのはライブである。とくに4、50代の若いころがいい、亡くなった兄の徳松さんたち唄仲間とのセッションは最高! まるでジャズのフィーリングだ。カセットデッキで録った古いテープからのダビングで音質は悪いのだが、そのスピード感やスウィング感だけでも味わっていただけたら嬉しい。
100歳まで残りはたったの12年。これまでも波乱万丈の88年だったに違いないのだが、いつも唇には唄を忘れずに「唄は百薬の長」を実践してこられた参治さん、けして不可能な数字ではあるまいと思う。
ますます混迷深まるこの時代に、ゆたかに歳を重ねることの素晴らしさを、このCDをとおして皆さんからも感じとっていただけたら幸いである。 〈冥土のみやげ企画〉
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