中矢澄子が新発田市滝谷で山暮らしを始めて12年。新潟の町中と滝谷を往復し、時には長期に山にこもることもあるらしい。町で疲弊しても、森に入ると元気になるという。森の中で見つけた蔓に和紙を張ったランプシェードが彼女の定番だが、個展の度に新しい試みも加わる。
今回はさまざまな色ガラス、砕いた陶片などをハンダで接着して組み上げたランプシェード=写真=。まっすぐな細枝の群中に、白い明かりの灯るもの。
それらを見て、中矢の仕事はあらためて森の造形=縄文的だと思う。縄文造形の原則は、最初に全体がないこと。結果的に細部になるものが、創作の各段階で「大きなもの」として現れる。森の一部である木が眼前に立ちはだかるように、その大きなものを次の大きなものにつないでいく果てに、予想できなかった全部が来る。森の中のように、予想のきかない道なき道だ。
都会の空間、たとえば高層マンションの内部には、無数の細部はあっても、それはすべて全体にきちんとはめ込まれ、障害のように、立ちはだかるものがない。全体が先行する弥生(計画的)造形が支配的なのだ。
計画造形的な現代の家に、中矢の明かりを置くと、どこかぴったりこないだろう。でも、ぴったりこないそのことが、魅力なのだ。森が、都市では希薄になった何かを彼女に気づかせるように、その明かりは、森のごつごつした光、風のくねり、たくさんの「意外」を運んでくる。