からだには境界線がある。骨があって肉があって体液があって、それらをくくる境界線。「わたし」という個体の輪郭であるこの境界線は、しかし「わたし」自身の目で見ることはかなわない。目の前でキーボードを打っているこの手や指は確かに自分のものだと感じるのだけれど、それがつながっているはずのからだの境界線を目で見て真実そうであると確認することは、自分ではない第三者でなければできない。
「わたし」は、「わたし」がどんな形をして動き回っているのかを知ることはできないのだ。
蓮池ももさんの絵に現れる娘さんたちは、自分のからだの境界線がどこにあるのか、そもそもそれが本当にあるのかどうかをすら掴みきれずにいるように見える。とまどっているのか、もてあましているのか、それともいっそ愛おしんでいるのか。
娘さんたちはその曖昧な境界線のままで、自分たちを取り囲む大地や草木や空へと分け入り、少し湿ったその世界と混ざり合いながら、けれど明確な質量を持って歩いてゆく。望もうと望むまいと、輪郭を持つ個体であらねばならない苦痛と喜びをかすかに予感し、それに備えるように。
娘さんであって娘さんでないものたち。見ているうちにこちらの境界線も溶けだして、自分の輪郭までもが怪しくなってくる。ももワールドへようこそ。そう言われた気がした。