画家は描き続け、語り続ける。絵の中にも等身大の木下晋がいる。
彼は近年、元ハンセン病の詩人を描くことに取り組み、先ごろ完成した大作が展示される。そこには、「流浪」と題された母親や、盲目の瞽女・小林ハル像を描き続けてきた魂がそのまま脈打っている。また、樹や猫など、身近な対象を描いた作品もある。それは日常の切り取りの空間であり、美しさ、愛らしさ、安らぎの中にも、不気味さが混交する世界である。
業や性などの言葉ではすまされない。生の内実を描くことによって再生させる。逃れようのない今を受けとめ、凝視し、見据え、絵画として転じる。描くことは知らず知らず自分の琴線に触れることであり、自分自身に気づくことである。
描くことによって内心を探っている確かな自分に気づいている。そして描かずにはいられない自分、話さずにはいられない自分に気づくのだ。
今回展示される小品の中から、猫三体。画面いっぱいの顔、思わず目をそらす。
親猫の毛の中に隠れる仔猫、親猫が隠しているのか、仔猫が隠れているのか。
目の前を飄々として横切る猫、この足音をたてず、仙人にも似た猫は何処へ行くというのだろう。春風を感得し、雲に乗っていくのだろう。