一朗と出会って十年になる。それは毎週金曜日の夜、私が開いていたプライベートな教室で、メンバーは高校教師、大学の講師などいずれも英語の専門家たちであったが、その一人がある晩気まぐれに連れてきたのが彼だった。その晩、私は彼の英語のあまりの稚拙さに憤慨した。しかし、その後わずかの間に彼が見せた目覚ましい上達のゆえに、私はすぐにその印象を改めなければならなくなった。
以来、彼には驚かされ続けている。私は彼の個展で彼の芸術を発見した。私は彼の最初の銅版画作品「一樹」を、ほかのいくつかの作品とともに購入した。そして、数年を経て、私は彼の後援者になっていた。私自身、1960年代に短歌を書き始め、その最初の歌集を出版する70年代に至るまで、一つの出版社も見つけることができなかった経験から、芸術を志す者の困難をよく知っていたからである。
2000年、当時74歳だった私は、共同のスタジオを作ることを決意した。そして、時折、大工の手を借りながら、5年を費やして、壁を築き、アトリブハウスを作り上げた。これは図書室と画室の家という意味である。彼はそこで私の日本理解の仕事を助けてくれている。
彼の作品は、月や川、樹木や雲といった自然の、人物の静かな陰影に満たされている。また、いくつかの出版物とともに、私の最新の歌集「FOUR DECADES ON MY TANKA ROAD」のカバーは彼の木版画を使った。彼の作品が多くの人に親しまれることを願ってやまない。