風が吹いている。中世の風である。娘やちは、踊っているがしかし、静止している。それを照らす星たちだけがまたたいているように感じる不思議。あるいはひとりぼっちの少女は野を歩みつつ、画面のはしっこにふとたたずむ。あるいは闇のなか、一本の木に語りかけるように立つ。
ドラマはすべて無言劇だ。
少女は作者の分身だろう。
またロンドの少女たちも、古木に遊ぶ少女たちも、星の池を船遊びする少女たちも、群像ながらどうやらすべてひとりの少女、つまり作者の分身らしい。
聞こえてくるのはジョン・レンバーン奏でる古曲であり、漂うのは中世イギリスの香りである。中世の、といういい方は極めてあいまいだけれど、蓮池がヴィクトリア時代のラファエロ前派(19世紀半ばイギリスに起こった芸術運動)の画家たちやほぼ同時期の童画家ケート・グリナウェイのムードを一部共有しているのは明らかだろう。
画家の資質としては、妖精の国アイルランド生まれの挿絵画家リチャード・ドイルを持ち出したくなる。というところまで書くと、蓮池も描かれた少女たちもエルフ(小妖精)の化身らしきことに気付く。
けれども一見メランコリックでひ弱に見える少女たちが、その一方で安易に周囲や社会に迎合せず、静かに自己と対話している芯の強さを認めることもできるかもしれない。