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にいがた水紀行・1
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やっぱり川は、泳げなきゃね
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小船井秀一
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まだ小学生だった頃の夏休み、親父のバイクの後ろに乗っかって、よく新潟から紫雲寺町の加治川へ泳ぎに行ったものだ。水泳と言えば、 もちろん海へも行ったし、学校のプールも利用したが、一番好きだったのはやっぱり川泳ぎだった。海と違って、泳ぎ終わった後にシャワーを浴びる必要がなかった(ほんとうは浴びたほうがよかったかも知れない)こともあるが、両岸を緑の木々に包まれ、野鳥のさえずりが聞こえる中で水遊びを楽しむというのは実に気分がよかったし、それに何より、底まで透きとおったきれいな水が絶え間なく流れる川で泳ぐ気分は、全くサイコーだった。何しろ、この頃の加治川は美しい川だった。 僕らがよく泳いでいた場所は、紫雲寺橋のすぐ下の「イッコク」(工事現場の「第一工区」という意味らしい)と、その2〜300メートル下流の「ニコク」と呼ばれる洗い堰のところだ。それぞれ相当古いもので、コンクリートのタタキは穴ぼこがあいていたりでかいひびが入っていたりしている。そこにはまったりすると転んだりして危ないのだが、そういうところはにはオイカワだの何だのといった魚も集まっているので、子供たちはヤスだの網だのを手にして、そいつらをねらうわけだ。とにかく魚影は濃かったし、みんな魚とりがうまかった。 イッコクのあたりは、流れが古い堰のすきまやひびを潜り抜けるときにちょうど濾過されたようになり、特に水がきれいなところだった。水底からは地下水も湧き出ていて、1〜2メートルの水深の川の底のほうは、夏だというのにものすごく冷たく、大人たちは子供たちに、「あんまり深いところに行くなて」と注意していた。深みにはまって帰れないようにということももちろんだが、急に冷たい水に触れ、心臓まひを起こさないようにという配慮だったのだろう。 親父はどちらかというと、にこくのほうがお好みだったようだ。地元の子供たちが多く泳いでいたイッコクよりも静かだったところがよかったのだと思う。僕にとっても、洗い堰でせき止められたところは、ちょうど水深が1メートルくらいになっていて泳ぎやすかったので、わりと好きな場所だった。 あれは確か土用の丑の日だったと思う。親父は一本の木の枝を手にすると、洗い堰の上の瀬になっているところに立った。白い水しぶきをあげて駆け抜けるせせらぎをしばらくじっと見つめている。と思ったら、いきなり右手に持っていた枝を水に向かって振り下ろした。左手が水面にさっと伸びる。次の瞬間、親父は岸辺にいる僕に向かって、手にした獲物を投げてよこした。体長十五センチほどのオイカワだった。正直、僕はびっくりした。僕自身、その時はそんなに運動神経がよくない小学生だったので、親父が見せた「技」は、ちょっと信じられないようなものだったのだ。親父はその後すっかり勢いがついて、次から次へと技で水面を叩いては魚を捕らえ、岸に投げるのだった。たちまち獲物の数は30匹を超えた。僕はそれを、茫然と見つめるだけだった。 ふっと、親父の動きが止まった。何か大物を発見したらしい。目で獲物の動きを追う。緊張が10メートル以上離れた僕のところまで伝わってくる。流れを見つめる親父の右肩がぴくっと動いた。そのまま枝を思い切り振り下ろす。水がばしゃんとはね上がる中に、なんだか長くて黒い生き物の姿を僕は見た。思わず親父のそばに駆け寄る。親父はそれをつかもうとするが、どうもうまく行かないようだ。それでも左手で何とかつかみ上げたそれは、確かにウナギだった。そいつは結局、そのぬるぬるの体表を利用して、うまいこと親父の手から逃げ出して、さっさと川の沖のほうへと姿を隠してしまった。「ヤツメだったな、あれは」。親父は僕にそう言うと、ちょっと悔しそうな顔をして、それから軽く笑った。 ……もう20年も前の話だ。
あれから何年も過ぎて、加治川の姿はえらく変わってしまった。上流にはでかいダムが2つもできた。改修も進み、草木がぼうぼうと生えていた岸辺はコンクリートの護岸になった。川の中にでんと座っていた中州も削りとられた。流量はがくんと落ち、こちらの岸から向こうまで、膝より上を濡らさずに渡れるくらいになった。ニコクのあたりには小学校の浄化槽の排水が流れ込むようになり、泳げる場所ではなくなった。何より、魚がさっぱりいなくなった。
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