|
|
|||||||||
|
|
にいがた水紀行・5
|
|
|||||||
|
加茂川
|
小船井秀一
|
||||||||
|
加茂に暮らすようになって、もう4年近くになる。勤め先がここにあるためだが、静かで落ち着いている街の雰囲気や、緑豊かな加茂山公園など、結構気に入っている。出身が新潟市なので、たまににぎやかで明るい繁華街の灯が恋しくなる時もあるが、それはそれ。安らかに生活するには、こんな町のほうがいい。 暇にまかせて町なかをふらふら歩くことがよくある。メインストリートだけでなく、わざと細く入り組んだ裏路地に入り込んだりする。どこの路地の脇にも水路があり、音を立てて水が流れている。青海神社や地酒の酒蔵の前の水路には水車がしつらえてあり、流れに合わせてくるくると回っている。別にそれで粉を挽いたり米を搗いたりしているわけではないが、そんな遊び心は、なかなか楽しい。町のムードにあっていると思う。 世間でよく言われている「北越の小京都」という言い回しはあんまりずうずうしいという気もするが、そんなことにいちいち目くじらを立てるのも大人気ない。むしろ、ここを訪れる人には、自分なりの「小京都らしさ」を自分の足で探し、発見してもらいたいなどと考えたりもする。 この加茂の町を縦断するように流れ、信濃川に注ぐ川が加茂川だ。この川も、加茂市を「小京都」たらしめている重要な要素である。この町の南、粟が岳に源を発し、いくつかの沢の水を集めながら、加茂市内だけを流れている。川底の石を洗うようにせせらぐ水は透明で、美しい。 昭和43年、加茂川は大洪水を起こし、加茂の町を壊滅状態にした。駅前通りの運動具店の壁には、その時にあふれた水の高さに線が引かれているが、それは1メートル75センチの僕の背丈より、さらに50センチ以上高いところに位置している。それを見ただけで、いかにとんでもない水害だったかが想像できるというものだ。それを教訓に、この川の大改修が行われた。河幅は大きく広げられ、いくつもの橋が新たに架けられた。土手沿いの道から川底までの高さは深く取られ、相当の増水にも耐えられるようになったのだ。 天気のよい日や休日など、加茂川の河川敷には、散歩やジョギング、ひなたぼっこなどを楽しむ人々が多く集まる。太陽の光が反射してきらきら光るせせらぎをぼーっと眺めていると、それだけでのどかな気分になってくる。芝生になっている所にシートを広げ、お弁当を食べている家族連れなんかがいたりしているのも、何だかいいのだ。 春には、川の両岸にロープを何本も架け渡して、それに何百匹もの鯉のぼりを吊るす。色とりどりの鯉のぼりが風に吹かれて川の上を泳いでいる姿は、はっきり言って見事だ。僕の同僚の一人は、「初めて加茂に来た頃は、なんかつまらないとこだと思ったけど、あの鯉のぼりを見た時は、すごいと思いましたよ」と言っていた。確かに、あれは一見の価値がある。 夏になると、思いっきり水量を減らした川の底に、ブルドーザーが入り込み、川底の土砂を集めて川の真ん中に二か所積み上げ、そこに川岸から鉄の橋を二本架け渡している。一体何をするのかと思ったら、「加茂川夏祭り」の大民謡流しの会場作りなのだった。夜になり様子を見に行ってみると、土手道には夜店がずらっと並び、大勢の人々が浴衣姿なんかで歩いている。川を覗いてみると、これまた大勢の人々が、河川敷から架け渡した鉄橋までの循環コースを「佐渡おけさ」だの「加茂松坂」だのに合わせて踊り歩いているのだ。 川底をブルドーザーがすくってしまうというのにはちょっと首を傾げるところもあるが、ともかく、加茂の人々は加茂川と、結構いいつきあい方をしているんじゃないかと思う。かつての「暴れ川」が、穏やかで優しい流れに変わったからということもあるだろうし、街に近いところを流れているということもあるだろうが、何だか、川が市民に極めて近いポジションにある、という気がするのだ。
それは、ひょっとしたら、この川にかかる橋の多さにも関わるのかも知れない、なんて勝手に思う。橋の上から見下ろすと、町なかを流れる川とはとても思えないほどに美しい風情を、よりくっきりと見せてくれるからだ。いや、それよりも何よりも、こんな清流が身近にあれば、誰だってそこで遊んだり散歩したり寝転んだり水遊びしたり逢引したりしたくなるよなあ。
|
|||||||||
| 水紀行目次 | |||||||||
| 制作・管理 反画工房 | |||||||||