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にいがた水紀行・7
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僕が水にこだわるわけ
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小船井秀一
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この文章は、一九九四年の一月の頭に書いている。書いているといっても、ワープロで作業しているので、正確には「打っている」といったほうが正しい。僕にとって、ワープロは今やなくてはならない重要な道具だ。以前手書きで書いていた時より、ずっと早く文章づくりができるようになった。技術の進歩は、正直言ってありがたい。ワープロに限らず、生活のあらゆる局面で、快適で楽しい生活を作り出すさまざまの製品に囲まれて、僕も、そして僕以外の多くの人々も暮らしている。 でも、そんなふうに、僕たちの身の回りが快適になっていくにつれて、僕たち人間以外の生き物にとっては、極めて生きにくい状況になっているということも、今はみんなが知っている。結局は人間だって、目先の快適さに目がくらんでいるうちに、退っ引きならないところまで追いつめられてしまうことになるのだろう。だって、人間も生き物の一種に違いはないんだから。いや、ことによると、もはや手遅れになってしまっているのではないか、という気さえしてしまう。次から次へと、イタチごっこのように吹き出る公害問題、談合と汚職に塗り込められ、金儲けのためだけにダムや河口堰などの無意味な大工事を推進する土建屋と役人、リゾートと言えばゴルフ場とスキー場しか思いつかず、せっかく美しいままで残っている自然林を切り倒し山を切り開いてしまう心の貧しい地方自治体(だいたいゴルフをする人ってのは、そんなに大勢いるもんかね。あんなのは結局、ゴルフ会員権を投機のネタにする連中だけのものなんじゃないの? 別にスポーツとしてのゴルフを否定するわけじゃないけど。スキーだって、別に日本人全部がするわけじゃなし、そんなにむやみに作る必要なんてないと思うけど)、自国で賄えないとなれば、金にモノを言わせて発展途上国の自然資源をくいつぶす大企業……。しかも、その背景には、前述のとおり、「豊かで便利で快適な生活をしたい」という僕ら自身の欲求があるのだから、このまま行けば、僕らが自滅するまでこうした状況は続くのかとも思う。 もし手遅れなんだとしたら、もう僕らがどうあがいてもムダということになる。だったら開き直って、刹那的に日々を過ごしてもいいかも知れない。あるいは、そんなこむずかしいことなんか考えず、「よくわかんないけど、何とかなるんじゃない?」なんてノリで生きるほうがラクなのかも知れない。でも、少なくとも僕は、人間がこのまま滅んでもいいなんていう考え方はとりたくない。人間が他のすべての自然と折り合いをつけ、地球とともに健やかに生きていくために、どうすればよいのかを、自分なりに考えたいから。 僕はこう思う。「これ以上豊かにならなくても、いいじゃないか」と。少なくとも、僕らが「健康で文化的な最低限度の生活」を営めるくらいのモノ、手段は、とっくの昔に手に入れてしまっているはずだ。少なくとも僕たち日本人は。14インチのテレビが29インチの大画面に変わったって、軽自動車が3ナンバーの大型車に変わったって、そこから得られる便利さには、実は何の変わりもない。もしぜいたくをしたいのなら、そんな「どうでもいい」ことでなく、僕たちの生存に関わる部分に金をつかうべきだと思う。得体の知れない薬品にまみれた輸入モノの食べ物より、少々高くついても、少々見栄えが悪くても、より安全性の高い食べ物を身近な所から買おうとか、そういった生活をすることのほうが、実は僕たちにとってずっと「ぜいたく」なことであるはずだから。また、工業にしても、これまで培った技術を、一方的な便利製品の生産だけでなく、公害の防止とか、ゴミの減量とかにどんどん振り向けていくべきだと思う。 てなことを言っても、実際それを実践するのはなかなか難しい。わかっていてもできないからこそ、世の中こんなありさまになってしまったわけで。人間がこの世に生存すること自体が、地球にとっては迷惑なことなのかも知れない。しかし、だからこそ考え、行動することが大事なのだと、僕は考えたい。 だから僕は「水」から始めた。美しい水と水辺は、僕にとっては飽かず、いつまでも残しておきたい貴重な空間だ。すべての生命を生み出し、育んできた水と水辺について、僕はもっと知りたいと思った。そして、守りたいと思った。今、貧弱な取材力と筆力を省みず、ここでこうして書いているのは、そうした思いからだ。できれば、僕に共感してくれる人たちと一緒に、この 連載を築き上げていきたいと、心から思う。
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