風だるま No. 09
にいがた水紀行・9

 
『水都』新潟を考える
小船井秀一
 
  
 前回、さんざんやすらぎ堤の悪口を書いたわけだけど、だからといってやすらぎ堤がないほうがいい、それ以前の直立した矢板の護岸がいいと言っているわけじゃない。やすらぎ堤は必要だ。少なくとも今の新潟にとっては。信濃川に、今まで以上に近づくことができ、より信濃川と親しむことができるようになった。そういう意味で、やすらぎ堤はやはり貴重な水辺空間であると思う。ただ、いろんな「しばり」の中で、お役人が考え出したものというのは、どうしても中途半端で物足りないものになってしまう、という側面を指摘したかっただけなんですよ。さらに言えば、いろんな役所が新潟のアメニティというか快適さを考えてるわけだけど、それぞれがばらばらに計画を立てていて、うまく連携してないんじゃないか、という気もしたもんで。
 というわけで(どういうわけだ)、今回も新潟市に目を向けてみることにしました。
 よく新潟は「水都」などと言われ、また、自称していることが多い。日本一の大河信濃川が、繁華街を二分する形で流れているのがその理由なんだろう。確かに、都会的な街並みの間をゆったりと流れる水の流れは、人々の目を引かずにはいられない何かがあると思う。
 だけど僕は、実は以前から、「新潟が『水都』だってのは、違うんじゃないの?」と感じていた。だって、まちなかを川が流れているから「水の都」だっていうんなら、全国各地の大部分の都市は「水の都」ってことになっちゃうんじゃないの、と思うからだ。それこそ、東京だって、盛岡だって、長岡だって、札幌だってみんな「水の都」だ。仙台なんか、前に書いたことがあるけど、繁華街の真ん中に鮎釣りができる川が流れてるんだから、こっちのほうがよっぽど「水の都」だよ。つまりは、新潟を「水都」というのは、かつての古町界隈に、堀が流れていたころの名残りに過ぎないのだ。
 そこで、久しぶりにチャリンコに乗って、かつて堀だった道路を走ってみた。
 東堀。東映などの映画館やウィズビルなどが立ち並ぶ、にぎやかな街並みだ。今では、若者中心のショッピングゾーンとしてそれなりの賑わいを見せている。そこから上(かみ)のほうは、しだいに大きなビルの数も減り、昔ながらの木造の民家や商店が軒を連ねるようになってくる。チャリで走りながら見ると、空がだんだんと広くなって、町全体が何やら明るくなってくるのがよくわかる(象徴的な意味でなく、文字通りに)。下手から上手へ流れる幅広の一方通行の道を、今度は逆にたどってみる。柾谷小路で信号待ちをし、横断歩道を渡って向こう岸に抜ける。
 中郵便局を過ぎると、NTTのビルがある。ここの一階のビヤホールは、夏場を中心に僕もよくお世話になっている。通りを挟んだ反対側は第四銀行の本店だ。金融関係を中心としたビジネス街といった趣のビル群を通り過ぎて行く。さらに下(しも)のほうへ向かう。新堀通りを横切って走って行く。こちらのほうは、バーやスナックなどが多く入居したビルが軒を連ねる、いわゆる「夜の街」だ。また、新潟を代表する高級料亭「鍋茶屋」も、その背中を通りに向けてでんと構えている。僕もたまーにこの界隈で飲んでいることがある。昼間なので、この辺はまだそれほどの人通りではないが、夜になると多くの酔客でにぎわう場所だ。
 方向を転じて、西堀へと向かう。今度は下手から上手へ、ゆっくりと上ることにする。
 西堀の下手は、東堀以上の歓楽街だ。きらびやかなネオンに彩られたビル群は、夜になると虫を集める花のように人々を吸い寄せる。今は昼だから吸い寄せられないが、僕もこの街は好きだ(早い話酒を飲むのが好きだ、ということ)。チャリを進めると、今度は新潟を代表する百貨店の「大和」が左に、柾谷小路を挟んだはす向かいに「三越」が立っている。かつては、このあたりが新潟一の繁華街として栄えていたが、今は「ダイエー」「伊勢丹」を中心とする万代シテイに客をとられ、地盤沈下を起こしているのだそうだ。とはいえ、かつて市役所のあった地点には新潟一ののっぽビル「NEXT21」がそびえ立ち、今後の古町の復権が期待されているらしい。
 さらに上手に向かう。山下家具を通り過ぎ、鍛冶小路を渡る。この辺から、いわゆるショッピングゾーンではなくなり、鉄筋のマンションが目立ってくる。上手に行くにつれて空間が広がるのは東堀と同様だが、こちらのほうが「都会的」な感じだ(だからそれがいいというわけではない)。そのまま走り続けて、白山神社にぶつかったところで、おしまいということに相成った。
 さて、こうしてみてきたところで、僕は思った。「水の匂いが、なんにもしないじゃないの」と。僕は1961年生まれだから、堀があった当時のことなんかなんにも知らないけれど、とにかく、両方の通りとも、かつてここが水路だったということをまったく感じさせないのだ。
 堀を埋めた理由は、人伝いにそれなりに聞いてはいる。水がよく流れなくなって汚れて、蚊などの発生元になった、堀にゴミを捨てていく不届きな人が増えて、さらに汚れてしまった、国体をひかえ、県庁所在地にふさわしい幹線道路がどうしても必要だった……。
 やむを得なかったことだとは思う。行政も市民も、自然環境とか、潤いのある街だとか、そんなこと、当時はほとんど誰も考えてなかったはずだから。一九九四年の今の視点から当時の市民をせめてもしょうがない。むしろ、今になって「堀を埋めたのは間違いだった」「堀は新潟の象徴だったのに」などと言っている人に、「じゃあなんで堀が埋め立てられることになった時あんたは止めなかったんだ」と僕は問いたい。
 今、僕たちがどうすべきか、これが大切なのだろう。そして、「将来の新潟を、僕たちはどうしたいのか」と、積極的に考え、発言していくことが必要なのだろう。少なくとも、今の新潟は決して「水都」ではない。かつての、「堀と柳と新潟芸者」の世界は、今はどこにもないのだ。だったら、どうすれば「水都・新潟」が蘇るのか、国も、県も、市も、一緒になって考えてほしい。そして、僕たち市民にも、どんどん関わらせてほしい。すでに民間レベルでは、いろいろな提言が出されている。それらを「そんなこと、無理だ」の一言で片づけるのではなく、みんなでわいわいやりながら、少しでも理想の姿に近づけるように、知恵を出し合っていくことが大事だと思うのですよ、僕は。(この頁まだつづく)

 

 
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