風だるま No. 15
にいがた水紀行・14

 
夏の終わりの楽園 山北町・中継川
小船井秀一
 
  
 8月も終わりに近づいたある日、ふと思い立って、山北町まで車を走らせた。そこに、ちょっと気になる川があったからだ。その名は、中継川。山形県との県境にほど近い、海の近くまで迫る山々の間を静かに流れる川だ。その最上流部の山熊田集落が、以前NHKの紀行番組に取り上げられていて、その時のことが極めて深く印象に残っていた。さらに最近、新潟日報事業社から出版された、県内の渓流を紹介する本の中に、山熊田渓谷もあったので、なんだか尻がむずむずして、どうしても自分の目で見てみたくなったという次第である。
 新潟からは、車で約二時間半。国道113号、345号といった「海岸道路」を突っ走って行く。笹川流れの美しい海岸の風景を楽しみながら行くと、やがて国道七号に合流し、間もなく府屋の町に入る。そこから山の方向に進路を変え、川に沿って上って行く。この川は大川といい、少し上流に行くと中継川と名を変えるわけだ。
 この川がまた、河口近くの水も、何やらきれいなのだ。底に玉石を敷き詰めたような川を流れる水は、ほとんど濁りを感じさせないほど透明で、清冽な印象だ。「こいつは期待できるぜ」などと、意味不明のことをつぶやきながら走っていくと、いきなり道に迷って、中継川の支流の大谷川の方に進んでしまった。
 仕方がないので、いったん橋を渡ってからUターンしようとして、ふと川を見たら、これがまたきれい。人工の手がほとんど加わらない、自然の川のよさをいっぱいに現わしているという感じだった。子供の歓声が聞こえるので見てみると、橋の下の深みで、子供たちが楽しそうに泳いでいるではありませんか。確かに、こんなにきれいな川なら、誰だって泳いだり水遊びしたくなったりするわ。「いいぞ、いいぞ」などと何がいいんだかさっぱりわからないが、ともかくそんなことを口走りつつ、改めて中継川の方向に車を向けたのだった。

中継川で遊びまくる子供たち   山々の間を静かに流れる山北町・中継川

 道は川に沿って、いくつかの急なカーブを描きながら、山のほうへと進んで行く。生活道路になっているせいか、道はほとんどの区間で舗装がなされていて、結構走りやすい。周囲の風景をのんびり見ながら走っていると、後ろから別の車があおってきたのですぐに道を譲る。県外ナンバーだった。さらにゆっくり進んでいくと、さっきの車の運転手が、路肩に止まり、トランクから釣りの道具を出していた。どうやら渓流釣りの人らしい。その方面では、結構人に知られた川であるようだ。山北町役場に問い合わせたところ、イワナやアユが釣れることでよく知られているそうだ。
 周囲の山々は、大方が杉の林になっている。とは言っても全山杉林、というわけじゃなくて、ふもとのほうは杉の植林地、上のほうは広葉樹の雑木林、といった感じである。最近、杉林というと、人手不足のせいか林業不況のせいか、下草刈りや枝打ちなどもほとんどなされず、荒れ放題というところも多いのだが、ここは違う。どこの杉林もみんな、きれいに枝打ちがされていて気持ちがいい。遠くから眺めてみても、すごくきれいに整っている。さすが、林業の町・山北だと思った。山で働く人々の衿持を見たような気がした。
 よく、「針葉樹の植林は生態系を壊すからよくない。また、補水力も弱まるから洪水が起こりやすくなる。だから、広葉樹の林を自然のままに残すべきだ」という意見・主張を聞く。僕も、基本的にはその意見に賛成だ。しかし、一部で言われるような「針葉樹の人工林は全部ダメ」的な極論にはちょっと同調できない。
 だいたい、和風住宅の建材にはほとんどすべて、杉や桧などの針葉樹が用いられているはずだ。それらの木を使わなければ、家なんかまったく建たない。最近はログハウスばやりだが、あれだって針葉樹の間伐材が当てられている場合が多い。我々の生活に、針葉樹は必要なものであることは間違いのないところなのだ。
 前に勤めていた新聞社の支局長が、こんなことを言っていた。「山のふもとには針葉樹が植えられていていい。そして、上のほうには広葉樹の林。そういうバランスが大事なんだ」。僕もそのとおりだと思う。それに、いくら「広葉樹の自然林を守らねばならない」と言ったって、守る人がいなければどうしようもない。林業に実際に携わる人々の苦労や努力を思いやる心がなければ、都会の人々がどんなきれいごとを言ったって、所詮は机上の絵空事になってしまうのではないだろうか(林業についてはもっと言いたいことがたうさんある。さらに勉強して、機会をみてまた展開したい)。
 で、しばらく行くと、川が穏やかに蛇行した、淵になっているところに出た。道路の端に、子供用の自転車が数台置いてあったので、車を止めて川面を見てみると、泳いでいる子供たちが大勢いたのだった。
 そこはまあ、なんというか、実にすばらしいところだった。前述したような透きとおった水が、淵に穏やかにたまり、ちょうどプールのようになっている。深いところで水深三メートルくらいだろうか。もちろん底までくっきりと見える。子供たちは、道路ばたの岩を飛び込み台がわりに、その深みめがけてがんがん飛び込んでいるのだ。子供たちは夏の間、いつもこの川でこうやって泳いでいるのだろう。殺風景な都会で、つまらんファミコンなんかで遊んでいる子供たちが、なんだかかわいそうに思えてきた。
 さらに上流に進んで行く。変な改修によるコンクリート固めになっていない川は、自然のままのよさを一杯に現している。人工的な構造物といえば、農業用水をとるために作られた堰くらいなものだが、それくらいは許されるべきだろう。上流にダムがないことが、この川に美しさが保たれている大きな理由の一つなのではないか、と思ったりもした。
 実は、気になる噂を聞いたことがある。この川の最上流、山熊田に、ダムを作る計画があるという噂だ。事実とすれば、なんともったいないことではないか。このことについても役場に聞いて、ことの真偽を確認してみた。その結果、現段階では特に具体的な話はないということで、ほっとした。
 確かに、いろんな必要性から、ダムが必要なこともあるのだろうが、できればもう、そういったものを作らずなんとかしていくという発想に、なんとか切り換えていけないかなあ、ついでに、来年は女の子とここに遊びに来るぞと、この美しい川を眺めながら、思ったのでした。

 

 
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