風だるま No. 16
にいがた水紀行・15

 
日本一の大沢・信濃川
小船井秀一
 
  
 今僕が住んでいるのは津南町だが、津南と言えば、千曲川が信濃川と名前を変えるところであることはみんなよく知っていることだろう。国道117号を車で走ると、その横を沿うように流れているのが、信濃川だ。
 で、そんな信濃川を見るたび、不思議に思うことがあった。「なんでこんなに水の量が少ないんだろう」。そう、とにかく水がないんですよ。いかに中流部とはいえ、長野からそれなりにいろいろな川の水を集めて、結構な水量になっているはずなのに、少なくとも津南から川西を過ぎたあたりまでの水量は、「これが日本一の川?」と疑問に思ってしまうほどなのよ、これが。川幅は結構ある。掛かっている橋もわりと長い。しかし、水が流れている河道の部分を見ると、これが驚くほど狭いのだ。川幅のほとんどに石の河原が広がっていて、水はそこに刻まれた細い河道をちょろちょろと流れているに過ぎない。これじゃ、川でなくて、沢じゃないの、なんて言いたくなってしまうほどだ。
 しかし不思議なことに、長岡あたりで見る信濃川は、それなりにたくさんの水が流れているのね。新潟市で見る最下流の信濃川にしても、小川みたいなんてことは断じてないわけだし。じゃ、どうして魚沼の信濃川はこんなに水がないの? みんな伏流しちゃってるわけ? などと疑問を持つのは当然なわけで。というわけで、その謎を探るべく、信濃川探索をとり行なうことにしたのでした。
 結論から先に言うと、謎は実はすぐ解けてしまった。国道117号を長野・飯山方面に進んで行く。谷底深く流れる信濃川は、しかし、相変わらずちょろちょろ状態。そんな様子を見ながら20分も行ったころ、忽然と現れたものは、一つのダムなのだった。「東京電力西大滝ダム」……ダムには、さっきまで見てた信濃川のちょろちょろ状態が何かの間違いであるかのように、満々と水を湛えていた。
中里村の宮中ダム。上流の長野県の西大滝ダムからバイパスされた水がこのダムに落とされ、さらにトンネルを通じて下流のダムへ大部分の水が流される。この水は最終的に、小千谷の発電所のところで信濃川に戻されるわけだが、結局信濃川本流は、長野・飯山市から小千谷市にかけて、ほとんど水が流れないという状態になってしまう。この写真を撮った時は、たまたま雨続きで水量もそれなりにあったが、ふだんはまさに「日本一の大沢」状態になっている。(1994年9月30日撮影)
   

 で、このダムの水がどうなるかというと、ほとんどすべての水がバイパスされてどっかに行ってしまうんである。バイパス水路のほうには、恐ろしいほどの量の水がごうごうと流れていた。しかし、この水は信濃川本流にはまったく落とされず、下流の発電用ダムまで、トンネルかなんかを通って一直線に運ばれるというのである。
 今度は方向を逆にして、下流へと向かう。津南に入ると、まず中津川が合流して(この川もなんだかやけに水が少ない。やっぱり上流に発電用ダムがあるのだが、そのせいか?)、さらに中里との町村境を清津川が流れ、信濃川と一つになる。その辺でようやく、なんだか水が増えたような気もするが、それにしても大したことはない。道は117号を離れ、山路を選んで行く。しばらく行くと、今度は宮中ダムにたどり着いた。不思議なことに、あんなに少なかったはずの信濃川の水が、ここには満々と湛えられている。しかし、その水も信濃川には戻されず、またバイパスを通ってどっかへ行ってしまうのだった。したがって、ダムの下流にはまた、ほとんど砂漠状態の河原と、流れてるんだか流れてないんだかわからないような水が、むなしく続いているのでした。
 新潟の水辺を考える会代表の大熊孝・新潟大学教授が書かれた「川とふれあう」(毎日小学生新聞連載)によると、西大滝ダムでは、同地点の年平均流量が225立方m/秒のところから、毎秒171立方mを取水し、約30キロ下流の清津川合流点下流でやっと放水、その直下の宮中ダムで13億キロワットの電力を生み出した後、さらに宮中ダムから合計毎秒317立方mの水(なんとここの年平均流量毎秒250立方mより多い!)が二本のトンネルによって下流に運ばれ、JRの三か所の発電所(川西町千手と小千谷に二か所)に送られた後、最終的には宮中ダムから約40キロ下流の小千谷でやっと信濃川本流に水が戻されるということだ。どうりで津南あたりや川西、十日町の信濃川の水が、やけに少ないはずだよ、これじゃ。
 みんなも、一度十日町市の十日町橋や妻有大橋の上あたりから、信濃川をよく見てみるといい。きっとびっくりすると思うよ。だって、天下の信濃川が、二筋ばかりほそぼそと、広い河原を縫うようにしてやっと流れているんだもん。これではまさに「日本一の大沢」だ。
 しかし、あれだけの川幅や河原があるってことは、もともとはそれだけの水が流れていたってことでもあるわけで。そのほとんどの水を、発電のために持っていかれてしまっているという現状は、恐ろしささえ感じてしまう。
 確かに、電気は大切ですよ。今の世の中、電気がなくちゃ何事も始まらない。しかし、そのためには貴重な自然をだいなしにしても仕方ないって言っちゃあおしまいだと思うんだけど。
 極論すれば、僕はもう、これ以上世の中便利にならなくてもいいと思う。今だって便利すぎるくらいだ。僕らがあまりにも便利を追求しすぎるから、自然もだめになっていくわけで。昔に帰れ、とまでは言わないけど、もういいじゃないか、とは声を大にして言いたいのです。信濃川のあのありさまを見て、こんなことを思いました。

 

 
水紀行目次
制作・管理 反画工房