風だるま No. 17
にいがた水紀行・16

 
名水の里は観光地になりえるか?
小船井秀一
 
  
 先日、栃尾の「杜々の森湧水」に行ってきた。
 場所は、栃尾の山奥、守門村との市村境近くにあるが、道路はよく整備されていて、行きやすい。そのかわり、かつての「秘境」らしさはなくなってしまっているわけだが。それでも、この近くで生活している人々もいるのだから、便利になったことがよくないとは、とてもいえない。
 杜々の森を訪れたのは、4年ぶりになる。4年経って、ここは相当の様変わりをしていた。
 ここへは車で行ったわけだが、まず、駐車場が整備されていた。もちろん前から駐車場はあったけれど、さらに立派なものができていた。
 水場の正面には、芝生の公園ができていた。その中には、「名水会館」なる立派な建物が建てられていた。その横には、無料休憩所を併設した売店もあった。この日は火曜日で、定休だったが、いつもはここで、お菓子や酒などを売っているらしい。
 公園の広場のど真ん中には、大きな池が掘られていた。この日、池にはほとんど水がなかったが、ふだんはここに、満々と水がたたえられているのだろうか。(湧き水の水かどうかは知らないが)。
 さて、いよいよ湧き水のほうに足を向ける。こちらのほうは、前に訪れたときとほとんど様子が変わっていなかった。うっそうとした巨木の立ち並ぶ森を背景に、水は静かに流れ落ちていた。水場の横には階段があって、それを登ると、神社がある。杜々の森一帯は神域で、それを守っている神社なのだろう。周囲には縄が張りめぐらされており、「立入禁止」の表示があちこちに立っていた。水源林を守るためだそうだ。
 ひととおり見たところで車に戻り、10リットルのポリタンクを持って水場に行き、たっぷりと名水を汲んできたところは、我ながらちゃっかりしていると思う。飲んでみると、それほど冷たくはないが、まあうまい水だった。一時、大腸菌群が検出されたこともあったようだが、それほど気にすることもあるまい。沸かしてお茶などで飲めばいいわけだし。
 この間、職場の同僚と、こんな話をした。――「名水の里」と「観光地」ってのは、両立するもんなのかね? 僕らの意見は、「両立しない」で図らずも一致してしまった。
 つまり、こういうことだろう。名水というのは、例えば北蒲・中条町の「どっこん水」や木曽・奈良井宿の水場のように、地域の人々の日常生活に深く結びついているとか、あるいは逆に、どこかの山深いところに、知る人ぞ知る、といった感じで湧いているもんではないのか。なまじ半端な形で人々に知れ渡り、観光地化してしまうってのは、実は「名水」の形としては、極めて不自然なのではないか、ということだ。さらに言えば、大勢の観光客が押し寄せてしまうことで、せっかくの名水の水源が、ゴミだの何だので汚染されてしまえば、名水どころではなくなる、ということも考えられる。
 とは言え、せっかく環境庁に「名水百選」に選定してもらっちゃったわけだから、なんとか売り出したい、と思うのも人情だろうねえ。その気持ちはよ〜くわかるんだけどね。しかしだね、はっきり言っちまえば、たかが湧き水の一つくらいが有名になったからって、それだけをネタにして観光地として売り出そうってのは、ものすごく無理があるんじゃないかなあ、と思うわけよ。だって、客寄せの材料が、湧き水だけですよ、湧き水だけ。そんな観光地、日本中どこ探したってないよ。栃尾市のほうも、そのことはよくわかっているから、こぎれいな建物を立てたり、池を掘ったり、芝生の公園なんかを作ったわけだけど、これがまたよくない(ごめんね、悪口ばかりで)。せっかくの秘境の湧き水、っていうムードが、見事にぶちこわしになっている。
 それでも、週末あたりは結構人出もあるらしいが、その人たちにも文句があるのよ(だんだん週刊朝日の「恨ミシュラン」みたいになってきた)。だいたい、安易なんだよ。てめえらが都会の「文化的」生活の中で、さんざん水を汚しといて(もちろんそれに僕も含まれるが)、その水を浄化した水道水を「まずくて飲めない」何ぞとぬかしやがって。挙げ句、「自然の清水がおいしい」とか言っちゃって名の知れた湧き水に集まっちゃう。いいかげんにしろ。結局、都会で不足するものを田舎から収奪するって構図が、ここにもあるわけですよ。電気や農産物と同じようにね。
 結論。名水は、根本的に、その地域の人たちのものなんです。その地域の水源を守り育てている地域の人の。名水に群がる人は、それを理解した上で汲んでいってほしいと思う。僕は、そのことが言いたかった(言いすぎちゃってたらごめんね)。

 

 
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