風だるま No. 26
にいがた水紀行・23

 
番外編・長良川河口堰を見に行った(2)
小船井秀一
 
  
 河口堰のゲートを上げ下げする機械の入った建物は、何というか、バカでかい毒キノコを連想させる形をしている。もちろん、それは僕が初めから悪意を持って見ているからかもしれない。でも、広々とした長良川の河口に唐突に出現したこの建築物を、僕は美しいとは思えなかった。少なくとも、周囲の田園風景とマッチしているとは、とても言えない。日本一の清流ともいわれる長良川の河口堰との組み合わせには、ミスマッチと言うにはあまりにも不自然な、得体のしれない奇妙さを感じてしまうのだ。
 河口堰の上は人が立ち入ることができるようになっていたので、僕もそこを歩いてみることにする。自動車がゆとりを持ってすれ違えるくらいの幅を持つ河口堰は、さすがに長良川河口にできているだけあって、長い。総延長は661メートルあるのだそうだ。おまけにこの日は天気もよくて、暑い。日頃ろくに運動していない不節制の僕は、汗を拭きつつ、ゆっくりと渡って行く。
 この時点ではまだ堰は閉められておらず、二段式ゲートは空中に上げられたままになっていた(その後7月に入って本格運用開始)。上流側の水面をのぞき込んでみる。青々と澄んだ水が、河幅いっぱいに広がっている。これだけの大河川で、最も下流の水がここまで澄んでいる川というのは、全国探してみてもそうはないだろう。僕たちのよく知っている信濃川の河口付近の水の色はあの通りだし、阿賀野川の水が比較的澄んでいるように見えるくらいで。ともかく、なるほど日本一の清流という評判に偽りはないんだな、と思う。 上流部では、水面に仕切りがしてあって、その中で、浚渫船が作業していた。仕切りの中は外側の澄んだ水の色とは対照的に、土色に濁っている。川床を掘り下げる作業をしているのだ。
 河口堰のほとりにある建設省のPR施設「アクアプラザながら」の説明はこうだ。「(川底の)しゅんせつにより、洪水の時の水位を今までより低くすることができ、安全になります。河口堰は、平常時(洪水でないとき)は塩水が遡上するのを防ぐ潮止めの堰として機能します。そして、堰の上流から淡水を取水することができます」。なるほど、一見たいへんすばらしい利益を地域にもたらす施設であるようだ。
 しかし、いわゆる反対派の人々や、本多勝一氏などのジャーナリストからこのような声が上がっていることを、少なくともこの雑誌を読んでいる人なら知っているだろう。「もともと『利水』目的で計画されていたはずが、思いのほか水需要が伸びないとわかると、いきなり『治水』目的に切り替わってしまった。とにかく、『始めに河口堰ありき』で、その利用目的は後から適当にくっつけただけだ」。マスコミ報道によると、河口堰の無意味さを知り、建設中止に動いた当時の環境庁長官に、あの金丸信が圧力をかけて建設を強行したという話もある。これでは、もともと、ゼネコンや政治家、建設官僚の個人的利益のためにむりやり建設を進めていると思われても仕方ないのではないか。
 それに、だいたい河口堰が「治水」に役立つとはとうてい僕には思えない。三重県長島町の「長島・河口堰を考える会」の資料によると、「上流に設置されるダムなら、洪水を防ぐには有効だろう。しかし、河口部に設置される『長良川河口堰』には、この理屈は成り立たない。河口部は海だから、いくら深くしゅんせつしても水位は下がらない。河口部は海抜ゼロメートル地帯であり、河口堰により、(長島町では)常時、家の屋根より高く水を溜められる。水位は決して下がらない」ということだ。僕には、こちらの説明のほうがきわめて納得できるものであると思える。
 再び河口堰の現場から。堰の両岸にはそれぞれ魚道が設けられており、魚の遡上を促すようになっている。魚道は、「呼び水式」「ロック式」「せせらぎ」の三種類のものが設置されており、建設省はこれによって魚への影響を押さえられるとしている。
 しかし、あれだけ広い幅を持つ長良川のほんの端っこだけを開けておいたって、魚がわざわざそこを通ってくれると考えるほうがおかしいんじゃないか。だいたい「ロック式魚道」なんて、早い話がパナマ運河と同じように、いくつかの区画に段階的に水を出し入れして水位を調節し、魚を導くっていうんだけど、魚は船じゃないんだから、そんなに思い通りにそんな魚道を利用してくれるって思うほうがどうかしてると思うけどね。で、さらに気に入らないのが、右岸側に作られたせせらぎ魚道。今はやりの「親水空間」ぽく見せているけれど、本当の自然な水辺とは似ても似つかぬ不自然な「せせらぎ」で、正直ああいうごまかしには腹が立つ。結局、これまで長良川を自由に行き来していた魚を始めとする生物たちの様相は、大きく変わってしまうに違いないと思う。ま、確実なのは、淡水と海水とが完全に分断されることによって、汽水域のみに生息できるしじみは完全に絶滅するということだ。
 ここまで書いてきて、改めて思うんだけど、百歩譲って、ひょっとしたら建設省の言う通り、河口堰は治水、利水に役立つ、すばらしいものなのかもしれない。だけど、あらゆるものを力ずくでねじ伏せて、押さえ込んでしまうという建設行政のあり方は、あまりにも人や自然に対する犠牲が大き過ぎはしないか。何もかも完全に押さえ込もうというのではなく、守るべき自然や文化と上手に折り合いをつけていく技術が今は求められているのではないか、と僕は思う。
 この河口堰を見学して、不安に思ったことがある。このタイプの堰は、山奥のダムのように高さが確保されていなくても建設できるわけで、もうダムが作れなくなった川に新たに建設需要を求める場合、この河口堰は、まさに格好の材料になるわけだ。となると、例えば「阿賀野川河口堰」とか、「信濃川河口堰」というのも、今後計画にのぼらないとも限らないわけで。実際、徳島県の吉野川では、古い堰の改修と称した河口堰計画が進行している。少なくとも僕は、これ以上水環境を悪くするこういった建築物には、できる限り抵抗していきたいと思う。あんまり力はないけれどね。

 

 
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