風だるま No. 31
にいがた水紀行・25

 
瓢湖は『水禽の動物園』か?
小船井秀一
 
  
 1月2日の午後、ふと思い立って、水原町の瓢湖に出かけた。真冬にしては極端に天気がよかったのについさそわれて、親しい友人とともに、車を走らせたというわけだ。
 新潟市の中心部から車で30分足らずの気軽な観光地ということもあってか、湖畔は家族連れや若いカップルなどの人々でいっぱい。水際まで近づくには、人の壁をかき分けなければならないほどだ。そういえば、駐車場の車のナンバーを見ると、県外の観光バスとか乗用車とか、新潟ナンバー以外のものがけっこうあった。瓢湖は、すでに全国的に「認知」された水鳥の名所、ということなんだろう。
 湖畔からではよく見えないので、歩道橋の上から湖面を見下ろす。ほぼ正方形に広がる(もともと江戸時代だったかに作られたため池なので、形が不自然なんだね)湖面には、数え切れないほどの(もちろん数える気なんぞハナからないわけだが)水鳥たちが浮かんでいる。
 以前からそうなんだけど、白鳥の数よりも、鴨の仲間が圧倒的に多いのね。何といっても鴨は狩猟対象の鳥だし、うかつなところで遊んでた日にゃ、いつハンターに撃ち殺されるかわからない(ちなみに、うちの親父も銃猟をやってて、僕も毎年鴨鍋やキジ鍋をおいしくいただいています)んだから、人間に殺される心配の絶対にない瓢湖のようなところに集まってくるのは当然なわけで。しかも、ここにいさえすれば、食い物も自分で調達する必要がほとんどないとくりゃ、集まってくるよねえ。ちなみに、白鳥のほうは、天然記念物の保護鳥だから、どこで餌食ってもぶっ殺される心配はないので、結構あちこちの田んぼに群れで出没しては、落ち穂なんぞを食べている。そのため、日中はあんまり瓢湖にはいないのが普通だ。
 と思ったら、今年はけっこう湖畔近くに白鳥がいるのよね。もちろん僕の思い込みもあるとは思うけど。でも、どう見ても、いつもの年よりはいっぱいいるように僕には見えたのよ。こりゃどうしたわけだ? と思ったら、今年から「白鳥おじさん」の吉川さんが引退し(水原町に引退させられた、という話)、鳥の餌を百円で販売、観光客も餌づけできる、ということになったのだそうだ。確か、餌やりの時間は決められていたはずだけど、観光客の皆さんはそんなもの無関係に岸辺に寄ってくる鴨や白鳥に餌を好きなだけやっていた。
 確かに、もともと「白鳥の湖」でもなんでもなかった瓢湖が、今のように水鳥の集まる湖になったのは、餌づけのおかげだろう。宅地開発や農業の近代化が進み、餌を探す場所がどんどん少なくなっていった現状を考えれば、やむを得ないことなのだとも思う。しかし、大勢の人たちがやみくもに餌をやりまくる今の状況は、あんまり好ましくないんじゃないかねぇ。
 比較しては悪いんだけど、新潟市の佐潟や豊栄市の福島潟、宮城県の伊豆沼も白鳥やマガン、ヒシクイの飛来地として有名だけど、これらの湖で瓢湖のような極端な形の餌づけをやっているところなんかないはずだよ。少なくとも、僕が新聞記者として宮城にいたころの伊豆沼では、餌づけを「好ましくない」と考えた自然保護の活動を地元の人たちがやっていたという気がする。根本的には、鳥たちがやって来たいと思うような自然環境を守り、あるいは再生してゆくという考え方のほうが筋が通っていると思うんですよ。
 極端な言い方をすれば、瓢湖を訪れる鳥たちはみんな「ダラク」しているのよ。自分で一所懸命餌を探さなくても、岸辺まで来りゃ人間から簡単に餌を与えてもらえるってことを期待して、この湖に来るんだから。観光客の手から餌をもらっている鳥たちを見ていると、正直言って、動物園で飼われているさまざまな動物たちよりもずっと家畜っぽく見えてしまう。本来野性であるはずの彼らから野性を奪い取ってしまうありさまを見せつけられる場所、それが瓢湖なのだ、といってしまうと言い過ぎになるだろうか。
 それでも、だから瓢湖なんて意味はない、とまで言うわけではないんですよ。ただね、彼らの野性を奪い取るような「水鳥の楽園」は、ただの「水禽動物園」に過ぎないんだ、ということを言いたいわけで。これから瓢湖を真の意味での「水鳥の楽園」にするために、本当に必要なものは何か、ということを、みんなで考えていかなきゃならないんだなあ、ということなんですよ。
 今回も悪口ばっかりだったけど、瓢湖を否定したい、というわけじゃないのよ。どうすればもっと気持ちのよい湖になるのかな、という気持ちから言ってるんだから。しかし、はっきり言って瓢湖の水は汚いよ。まず、水をきれいにするところから始めたほうがいいんじゃないかと思うね、僕は。

 

 
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