風だるま No. 47
新・にいがた水紀行・7

 
大雨の夏に考える
小船井秀一
 
  
 生まれて37年ほど経つが、こんなことは初めてだ。実家が床上浸水しちゃったのだ。
 その時僕は、津南の長屋で寝ていたわけなんだけど、確かに雨は降っていたし、そこそこ雨量も多かったとはいえ、まさか、そこそこ都会の県庁所在地の新潟が、そんな事態になっていようとは全く思いもしなかったわけで。
 翌日(8月4日)、出張で柏崎に行って、カーラジオのニュースで、新潟が床上浸水千何百戸というとんでもない状況になっているのを聞いて、まさかと思いつつ電話をしてみたら、そのまさかだったというわけだ。
 結局、仕事の都合で、とりあえず実家に戻ったのが7日だったんだけど、帰ってみたらこりゃびっくり、一階の茶の間の床板がすっかりはがされていて、根太がむき出しになっちゃってて、その下には地べたが出ているといった状況。水をかぶった畳は、もう使い物にならないってんで、おやじの仕事場のある(おやじは左官屋さん)横越に持っていって、そのまま堆肥にしちゃったんだそうで。
 しかし、床がないんじゃ普通の人は困るし、もちろん我が家族だって困るから、そこはおやじは職人さん、何とかしましたがね。
 で、その何とか仕方がいかにも合理的というかせこいというか。畳を新しく買い替えるのはあまりにももったいないってんで(何しろ、すっかりオンボロになっちゃった家で、柱という柱はシロアリに食い尽くされてスカスカな状態。床も、場所によっては、力を入れて踏ん張ると抜けそうになる。そんなうちに畳を新調してもねえ)、ありもので安く済ませちゃった。
 まず、茶の間のサイズに合わせてコンパネを敷き詰め、その上に今度は、同じくサイズを合わせた発泡スチロールのパネルを乗せていく。さらにその上にまたコンパネを敷いて、最後に上敷きをかぶせて一丁上がり、という寸法。多少床の感触が硬いのが難点といえば難点だが、ま、床の高さもほぼ畳を敷いたときと同じだし、だいたい、安くつくのがいい。というわけで、それ以外に大した被害もなかったのも幸いして、我が実家はそんなふうに床上浸水を乗り切ったというわけだ。
 ただ、町内で(新潟市上木戸)、床上浸水しちゃった家ってのは、どうもうちだけだったらしいのね、これが。他のところは、みんな何とか床下浸水で済んだらしい。これは理由がはっきりしてて、早い話、他の家は、建物を建てる際、土盛りをして基礎を高くしていたんで、水は上がってこなかったんだけど、うちは土盛りをするどころか、むしろ道路より基礎が低くなっていたためにやられちゃったというわけだ。
 これは、うちの家が建った時期の状況に遠因があるんだと思う。37年ほど前に家は建ったわけなんだけど、その頃のうちは畑の中の一軒家、周りは田畑以外何にもなかった。新潟地震の時、玄関を開けると、爆発炎上した昭和石油のタンクからの煙が完全に見通せたってくらいだから。おそらくその頃は、その辺の土地がそんなに低いなんて、誰も思わなかったんじゃないだろうか。
 まあ、たまたま上木戸はそんなもんだったけど、となりの牡丹山や山木戸、西新潟の小針の方は床上浸水続出だったし、万代町や古町の地下のあるところは、泥水が大量に流れ込んできて、復旧は相当たいへんだったらしい。
 実際のところ、当時から水溶性天然ガスのくみ上げにより、東新潟の広い地域の地盤は相当に沈下していたという話も聞く。とりあえず、そんな実感もなく暮らしていられたのは、これまでそんなにものすごい大雨が、少なくとも新潟市には降らなかったということと、都市排水が、排水機場によって見事に信濃川、阿賀野川に排水されていた、ということだ。しかし、今回のような前代未聞で異常な大雨が降っちゃって、排水系がマヒすると(停電して、自家発電に切り替わらないうちに水がなだれ込んできて、排水機能がいかれちゃったという話)、いわゆる海抜ゼロメートル地帯は(マイナスメートル地帯ももちろんある)ひとたまりもなかったということなのだろう。むしろ、これまでの方が、よく何事も起こらず無事だったなあ、という見方さえできるかもしれない。
 考えてみれば、もともと新潟は、信濃川と阿賀野川の運んでくる土砂によってできた沖積平野の上にできた都市なんだから、地盤がゆるくて標高が低いのは当たり前なわけで。江戸時代までは、洪水で信濃川、阿賀野川の流れの向きが変わるたびに町は流され、そのたびに新たに作り直したのだという。そんな町が、どんなに近代化したって、総簡単にその本質を変えるわけはないじゃないの、と今は改めて思う。だからこそ、「水」との付き合い方を、「水」の恐ろしさを実感できた今こそ、考えていけるんじゃないかな、と思うのね。
 自然は(つまり水は)、人間にはねじ伏せられない。だったら、うまく付き合っていく方法を考えたほうが前向きだろう。具体的には、新潟市、特に通船川を中心とした一帯は、前述した通り、海抜ゼロメートル、マイナスメートル地帯。このあたりをどうにかすることが必要なんじゃないだろうか。
ジャスコ東新潟店ウラの通船川
 僕は、このあたり一帯を一大遊水池にして、さらに周辺を自然公園として整備したらいいんじゃないか、などと無責任に思う。何だか田んぼや畑が広がっているし、人家もそれほど多くないように見えるんで言ってるんだけど。そのうえで、新潟の水辺を考える会が言っているように、阿賀野川と信濃川を結ぶ船を走らすなんてのは、面白いんじゃないかな。
 現実にできるかどうかは判んないけれど、少なくとも、「ねじ伏せる」という発想じゃ、大規模な自然災害には、結局対処できないんじゃないかと思う今日この頃なのですよ。

 

 
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