| ビデオ作品 |
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「阿賀野川、昔も今も宝もん」を作って
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旗野秀人(安田町水俣病患者の会事務局)
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その日のシネ・ウインドは若い映画ファンの熱気で溢れていた。今回、編集をしてくれた井上朗子さんが若い人たちにも見てもらったほうがいいだろうからと「にいがたインディーズムービーフェスティバル」に年齢制限があるかもしれないけど、と言いながら申し込んでくれたのである。完成から10年たったドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」の上映会場では今でも自分が登場することもあって照れ臭いのだが、今回のビデオ作品の場合もなぜかとても恥ずかしかった。若い監督に挟まっての舞台挨拶では、場違いな自分に戸惑っていたのである。しかし、Gプロジェクトという東京の若者が作った「ある夏の戦い」というテレビ番組の仮面ライダーのような凄い!作品の後で、突然、お婆さんたちがお地蔵さんをお参りするシーンから始まる我がビデオ作品の上映はなんとも言えず、思わず吹き出してしまった。当日の作品紹介パンフにも「ジャパニーズ度★★★★のアクション炸裂のヤングなドラマ、そしてサイバー度★★★★★のオールドなドキュメンタリーが彩りを加えます」と書いてあったのもおもしろく、嬉しかった。
実はこの作品、構想3年?編集がたったのひと月というドロ縄状態の中で、製作企画書も無いまま井上さんたちに泣きついて、なんとか映画らしくまとめてもらった代物なのである。結局、出来上がってみれば私が30年余りかかわってきた新潟水俣病事件と、この間つきあってくれた阿賀の川筋で暮らす人生の達人たちを映像に残したいと言うことだったのだがクソ暑い真夏の編集作業、はかどるのはビールだけでギリギリの間際までみんなに迷惑をかけてしまったのである。そう言えば、3年前のつくる会を立ち上げる時も咲花温泉の常宿で若い人も加わって元気よくスタートしたはずだったのだが、何事も腰が重い性分ゆえ、あっと言う間に3年もの月日が過ぎ去ってしまい自分でも呆れてしまう。それでも以前から阿賀の川筋で聞き書きを続けていたOさんが協力をかって出ていくらかフィルムを回しておいてくれたことは何よりも助かった。
この映画祭よりひと月ほど前、豊栄市の県立「環境と人間のふれあい館」での完成試写会は、編集の井上さんをはじめナレーションの川瀬さん、タイトルをお願いした書家の小山素雲さん、そして出演した男衆3人もゲストトークに加わって和やかでアットホームな雰囲気の中でやれたと思う。県営の渡船場の船頭だった皆川和男さん、加害企業の昭和電工の社宅の屋根修理に行ったという屋根葺き職人だった渡辺参治さん、そしてこの日のことをすっかり忘れていた川船の修行もしたと言う市川徳太郎さんに替わって、患者の会代表の権瓶晴雄さんがそれぞれの思いを実直な語り口で話してくれたのである。その様子の録画を見て、あらためて思った。毎度のことながら照れまくってシドロモドロの進行役の自分に比べ、人生の大先輩である3人の確かな話しっぷりの見事なこと。あの、映画「阿賀に生きる」と同様にまたもや今回も役者に助けられているのであった。シネ・ウインドの映画祭にも同伴してもらうべきだったと後悔してみたものの後の祭りである。「字幕がほしい」などのご意見もあったものの100本のテープはあっという間に無くなり、もう50本追加したところである。熊本日々新聞にも載って、熊本からの注文もあった。そして、このビデオを使っての小学校での出前授業の依頼も数件きている。いずれもありがたく嬉しいことなのだが、なによりも嬉しかったのがラッシュフィルムをはじめて患者の会に見てもらった時の皆さんの喜びようだ。高齢の水俣病患者の数十年の病苦の中で、またひとつ「冥土のみやげ」が増えたことを素直に喜びたい。
| 安田町千唐仁にある「水俣地蔵」と「虫地蔵」 |
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