2003狽1月15日発行号

青年 老い易く―――旗野秀人物語


高見 優(元「阿賀に生きる」製作委員会事務局長)

 
   「川はみな、海に流れ入る、
  しかし海は満ちることがない。
  川はその出てきた所にまた帰って行く。」
           (旧約聖書・「伝道の書」第一章七)

 七〇年代初頭のある年の暮れ―。越後の一人の田舎青年が南に向かった。「返還」が決まった沖縄問題が気になって…。乗り換えのため途中下車した東京で、都心の大きなビルの前の路上に置かれた小さなテントを発見し、ふと足を踏み入れてみた。
 そこには、南国九州から「幻の舟」に乗り「もう一つのこの世」を求めてやってきた数人の水俣病患者と支援たちが居た。被害者たちは、故郷水俣で長年同居してきた加害者=大企業チッソの本社に棲む社長に直接対面して、「人間として対話する」ことを望んだのであったが、社長らは人間の論理より企業の論理を優先する立場に固執して話し合いを中断したあげくに、本物の鉄の扉を急造して被害者らを寒空の路上に追いやったのである。
 抗議の座り込みを続ける支援者の一人で、今は亡き上野英信らに声をかけられた越後の青年こそ、まだ成人になって間もない旗野秀人であった。
 「どこから来たの?」
 「新潟です」
 「新潟にも水俣病があるだろうが」
 「ええ…」
 水俣病患者の支援のためテントを訪れた旗野は、九州の人たちから、自分の住む新潟の水俣病患者のことを聞かれても、何一つ応えられなかった、と後で述懐している。

 一方そのころ、私たちは「新潟水俣病を考える会」というNGOを結成し、第一次訴訟判決の前後に、原告患者のたたかいの支援、記録映画「水俣〜患者さんとその世界」(土本典昭監督)の上映、判決後の未認定患者発掘などの活動を展開していた。そんなある日、東京の「水俣病を告発する会」の知人から電話があり、安田町の旗野さんという人を知っているか、と言う。新潟大学や看護学校の学生を中心とした私たちの会のメンバーは、私をはじめそのほとんどが県外の出身だったので、阿賀野川流域の地元に住む患者・家族以外の住民、それも若い人とは全く交渉がなかった。さっそく、住所を聞いてまだ見ぬ青年を訪ねて行った。
 井上陽水のレコードや雑多な書物が溢れる、彼の小部屋が印象的だった。大工見習いであったが、まだ何がしたいのか定まらない、といったごく普通の青年は、ともかくも私たちの後ろにくっついて安田町の認定患者宅を訪問した。よそ者の私たちの背中に隠れるようにして座っていた青年の姿に気づいた患者から、「おめえさんは、秀人じゃねえか?」と声をかけられ、ようやく恥ずかしそうに名乗り出た旗野秀人。
 一次訴訟判決後しばらくすると、認定申請した被害者たちが次々と棄却されはじめる。有明海の第3水俣病事件で発見された患者の認定問題で医師の判断が真っ二つに分かれ、国が選んだ医師が水俣病を否定したことが、第1・第2水俣病の認定作業にも直接影響したからであった。認定を棄却された患者の中には棄却通知に書かれたとおり、自ら行政不服申請の手続きをする住民が現れてくる。そのような未認定患者の一人が、餅つきの爺っちゃんの連れ合いのKさんだった。私たちは毎週日曜日の休みになると、新潟市から電車やバスを乗り継いで阿賀野川をさかのぼり、千唐仁などにも足を運んだ。
 しかし、「認定制度」の厚い壁の前に制度の矛盾と無力さを感じて、次第に活動することが困難になり、学生たちの卒業などにより会の動きが停滞するようになった。

 そんなころ、雌伏していた獅子が目覚めたかのように、旗野秀人が突如として活動を開始したのである。石油ショックの影響による大工仕事の不況のため、兄弟揃って東京方面に冬の出稼ぎに行くと聞かされた年もあった。けれども、地の利を生かした彼の活動は、次第に患者・家族をはじめ地域の人々の確かな信頼を得ていったようだ。
 自分の住む地域で、まだまだ偏見や逆風の強かった水俣病問題に取り組むことの困難さは、外部の人間には計り知れない多くの問題・軋轢があったことだろう。けれども持ち前の粘り腰とユーモア、楽観的な性格と人当たりの好さなどを最大限に発揮して、旗野は突き進んでいった。その後の彼の活躍ぶりは、多くの人の知るところであろう。

 「見ても見えず、聞いても聞こえず」〜理想に燃えた青年期の性急で過激な思想と行動は必然であったが、ある時、自然や世間という「書物」から多くのことを発見する。それは、簡単には崩壊しえない堂々とした常民の、自然の中に自然と共に在って、確固とした基盤を持った日常=生活の在りようだ。旗野秀人の足跡を、自分自身のそれと重ね合わせて考えると、このような「気づき」に共に思いが至ったことを確認できる。


 
「阿賀に生きる」

1992年製作/115分/16ミリ/カラー

●製作/阿賀に生きる製作委員会
        (代表・大熊孝)
●監督/佐藤 真
●助監督/熊倉克久
●撮影/小林 茂
●撮影助手/山崎 修
●録音/鈴木彰二
●録音助手/石田芳英
●スチール/村井 勇
●音楽/経麻朗
●ナレーター/鈴木彰二